No.227262
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鋭い出足から敵陣の中央でセカンドボールを拾った浦和レッズのFWラファエル・シルバが、ゴールまで20メートル以上も離れた場所でいきなりシュートモーションに入る。ペナルティーエリア内にいたMF興梠慎三やFW李忠成の動きに対応しながら、ラインを下げていた鹿島アントラーズのDF陣の中から、植田直通だけが猛然と前へ詰め寄っていく。
5万7447人で埋まった埼玉スタジアムで、4日に行われた明治安田生命J1リーグ第10節。鹿島の1点リードで迎えた72分に訪れかけたピンチは、意を決した植田のシュートブロックで未然に防がれた。
「彼がフリーになるのは、あの場所かなという予測もあったので。僕の体のどこかに当たればいい、と」
強烈な弾道は植田の左腰に弾かれ、センターサークルまで戻された。このプレーには実は伏線があった。後半開始直後の51分。左サイドをMF関根貴大に崩され、MF武藤雄樹に横パスを入れられる。DF昌子源がマークにつくも、武藤にフリックされて背後のスペースへ通されてしまう。
慌てて振り返った昌子の視界に飛び込んできたのは、走り込んできたラファエル・シルバがフリーでシュートを放つ姿だった。ゴールバーの上を超える軌道を見届けた昌子は大きなゼスチャーを介して、ファンやサポーターの面前で植田を激しく叱責した。
「中に誰もおらんかったのに、ラファエルのブロックに来んかった。あれには強く言いました。自分のポジションがすべてではないし、僕が空けたスペースを守るのもナオ(植田)の仕事。危機察知能力というものを、もっと早く身につけてもらいたいので」
試合中に顔をのぞかせた課題を、わずか21分後に修正した。植田が飛び出したスペースは、昌子がしっかりとケアしていた。試合中でも遠慮することなく、忌憚なき思いをぶつけ合う。練習中ならば険悪な雰囲気を生み出しかねない、妥協なき姿勢の原点はJリーグの黎明期にまでさかのぼる。
ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)から司令塔ビスマルクを獲得した1997シーズンは、長い鹿島の歴史でも理想として位置づけられている。チャンピオンシップこそ宿敵ジュビロ磐田に敗れたが、ヤマザキナビスコカップ(YBCルヴァンカップ)と天皇杯を制覇。何よりも日々の練習が厳しさに満ちていた。
日本代表に名前を連ねていたDF秋田豊やMF本田泰人が、前線からの守備を巡ってビスマルクら攻撃陣と一触即発の状態になるのは日常茶飯事。チームを成長させるためには不可避な衝突として、鈴木満強化部長らが笑顔で黙認した延長線上に翌1998シーズンのチャンピオンシップ制覇、2000シーズンの国内三冠独占、2001シーズンのJ1連覇がある。