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宮津台◆TJ9qoWuqvA
No.243694
ファビオって元横浜のやろ?

ああ
No.243693
☆ああ
{emj_ip_0697}コピペうざい
(iPhone ios10.3.2)
2017/07/04 16:25
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どのコピペ?
スンテの記事なら謝るがウザイがるほどでもないと思うな。

ああ
No.243692
17:06だけど、柏戦見直したその他の印象としては、かなり消耗したなってとこ。

脩斗が足が攣るのもあまり無いことだし、残り10分くらいから、昌子は足が止まっていたしレオでさえ止まりかけてた。

疲労度が心配。

ただその中で、足が止まらなかった永木や健斗はすげーなと思った。
特に健斗は本人的には結構やられた感はあったと思うんだけど、引きずらずにプレーしててメンタルつえーなと。倒れてもすぐ立つし。

しかじん
No.243691
明日の対戦で楽しみなのは井手口だな。
鹿島以外の選手で一番気に入ってる選手。

レオシルバとのやり合いが楽しみ。

あとは最近評判の高いファビオ?だっけ、DFの。どんなもんだか見たい。

あんまり鹿島以外の試合見てないのでよくわからん。
ただ、井手口は一目見て気に入った。
こんな風に思ったのは新井場以来だ。

市川鹿
No.243690
吹田ぼっち参戦します!
1人で行く方ってどれくらいいらっしゃるんでしょうか〜??

かい
No.243689
スンテの手を蹴った馬鹿は誰でしたっけ?

ああ
No.243688
スンテ離脱かー。

柏戦を見直したんだけど、ダントツでソガのプレーの不安定さにヒヤヒヤしたんだよな。
次はスタメンで準備万端で出るだろうから、やってくれると思うけど。

しかじん
No.243687
スンテ兄さん怪我かー。
今年はその後にソガがいるからいいけど、やっぱソガにはハラハラさせられるよな。

スンテ兄さんの補強はでかかったな。


ああ
No.243686
{emj_ip_0697}コピペうざい

ああ
No.243685
〜スンテ選手の負傷について〜

7月2日(日)明治安田J1第17節 柏レイソル戦で負傷したクォン スンテ選手について、チームドクターより検査結果の報告がありましたのでお知らせいたします。

■受傷名:
左母指MP関節脱臼


しっかり治して欲しい。
ソガ頼んだぞ!

■全治等:
約3〜4週間

■負傷状況:
7月2日(日)明治安田J1リーグ第17節 柏レイソルで負傷

鹿島愛者◆X/Qlzwxayg
No.243684
男性
明日のガンバ大阪戦、現地参戦します!!
初吹田スタジアムで楽しみです。
鹿島にとって吹田はホームみたいなもんですからねw
しっかり勝って首位に立ちましょう!!

ああ
No.243683
 昨年末、鹿島はクラブワールドカップで快進撃を続けた。決勝ではレアル・マドリーをあわやというところまで追い詰めたが、一歩及ばず準優勝に終わる。

 あの試合後、小笠原がどこか満足げな表情を浮かべていたのが印象的だった。名だたる強豪クラブと渡り合い、広く世界に鹿島イズムを発信できたと──。

 で、訊きたかった。ぶっちゃけ、マドリーはどうだったの??

「本気じゃなかったと思うよ、あれでも。それでも勝てるくらい強かった。いつでも点を取れるんだって、あのレベルは。必要最小限で勝たれちゃったなぁって思うもん。いい勝負したねとか、もう少しで勝てたかもしれないとか言われたけど、差はあったよ。差はある。

 バルセロナとやってる時のレアル・マドリーじゃないんだから。そこを勘違いしちゃいけない。俺らだって天皇杯で格下とやる時みたいに、難しさがあったんだと思うよ、レアルにしても。あと一歩で勝てたとか勘違いしちゃいけない」

 酸いも甘いも噛み分けたレジェンドがそう言うのだ。

 こればかりは、謙遜ではない。

<♯5につづく>

取材・文:川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

ああ
No.243682
 鹿島のクラブハウスを訪れたのは、およそ8年ぶりだった。

 インタビュールームには過去の対戦相手のペナントやチーム歴代の集合写真が所狭しと張り巡らされ、クラブの重厚な足取りに圧倒される。建物すべてを覆う例えようのないパワー、自信と誇りがみなぎる選手たち、そして、小雨の中でもあしげく練習場に通い、声援を贈り続ける生粋のサポーター。なにもかもが変わっていなかった。

 そして、何度来ても思う。ここは、日本サッカーの宝なのだと。

 ジーコスピリット、そして鹿島イズムとは? 現チームにおいて、この男以外の誰に訊けばいいだろうか。

「俺らのロッカールームの入り口にさ、ジーコスピリッツと題して、3つの言葉が書いてあるの。献身、誠実、尊重。それがすべてを物語ってるんじゃないかな。チームのために戦う献身さ、素直に意見を言い合う誠実さ、お互いをリスペクトし合う尊重の心。チームはファミリーなんだってこと。いちいち言葉で語る必要はないし、試合で一生懸命やる姿勢を見せるだけ。若手とかに、『ジーコはこうだったんだよ』とか言うんじゃなくてね」

 長くキャプテンマークを巻いてきた。継承者としての気概は、並大抵ではない。

「ここはクラブ自体がそこを大事にしている。俺がキャプテンになった時、本田さんや秋田さん、ヤナギ(柳沢敦)さんがなにをやっていたか、どう振る舞っていたか、なにを話していたかをよく思い起こした。最高の見本があるわけだから、それを真似してきただけ。

 あの時こう言ってくれたな、こういう姿勢で臨んでたなって。決して練習では手を抜かないし、少々のことでは練習を休まないし、チームはひとつになって戦うんだって姿勢を見せてくれてた。結果を出してきた、勝ってきたって実績があるから、すべてが正しかったと思える。中田(浩二)もヤナギさんもそうだけど、最後の去り際が素晴らしかった。試合にあまり出れなくなっても文句ひとつ言わず練習を一生懸命やるし、ほかの選手にアドバイスを送ってね」

 同期入団でずっとともに切磋琢磨してきた中田に対しては、さらに熱が込もる。

「きっと悔しい想いはしてたと思うんだけど、最後までやり切ってこのチームを去って行った。中田は引退した年、一回も練習を休んでない。俺の記憶が正しければ。ほとんど試合に出てないのにああいう姿を見せられるって、やっぱりこのクラブの象徴なのかなって思う。恥ずかしいから、面と向かっては言わないけどね(笑)」

ああ
No.243681
 時は、1999年秋。ナビスコカップ決勝、鹿島アントラーズ対柏レイソルの一戦だ。ちょうど同じタイミングでシドニー五輪予選のゲームが国外で開催されていたため、本山雅志と中田浩二が不在。小笠原はベンチメンバーに食い込んでいた。

 試合は2−2のまま延長戦に入っても決着が付かず、PK戦に突入。後半頭から出場していた小笠原は6番目のキッカーを任された。

「そこでね、外してしまうわけですよ。俺が外して、次に決められて負けた。もう悔しいとかって次元じゃ片付けられなかった」

 たったひとつのキック。それが数え切れない人びとの人生と運命を変えうるのだと、身を持って学んだ。

「すごく大事なんだって思い知った。諸先輩方がいる中で、ジーコが『お前行け』って言ってくれた。嬉しくて、決めてやるぞって意気込んで、止められた。インサイドキックの重要性をあらためて痛感したし、疎かにしちゃいけないんだって。いまでも本当に忘れられない、印象深い試合。綺麗なゴールとかより、そっちのほうがよっぽど覚えてる。サッカー教室とかで子どもたちに話す時にも、よくこの話を使うくらい」

 せっかくなのでインタビュー中ながら、当時のプレー動画を一緒に観た。若かりし頃の自分の姿を恥ずかしそうに眺めながら、「明らかにコースが甘いよね」と呟く。

「この時、いったい何万人が悲しんだんだろう。ジーコがよく言ってたもんね。練習してる時は疲れてないから蹴れるけど、延長戦とかやった後で、足がボロボロの状態でも狙ったところに強く蹴れなきゃダメなんだって。いつもと同じ感覚じゃなダメなんだって。本当にその通りだと思った。メンタルも大事だし、ビビってちゃ決めれない。だからPKは運じゃない。俺は違うと思う」

ああ
No.243680
 1998年春、小笠原満男はJリーグ屈指の名門、鹿島アントラーズの門を叩いた。

 きっとすぐには通じない、そう覚悟していた。だが、居並ぶタレントもトレーニングの質も、想像をはるかに超えるレベルだった。

「試合に出れるようになるまで、3年がひと一区切りだとは思ってたけど、簡単じゃなかった。中盤にはビスマルクがいて、ほかにも同じポジションには増田(忠俊)さんがいて、もう誰も彼もが日本代表かオリンピック代表だもん。この面子の中で出れないのはしょうがない。でも、ここでポジションを獲れれば、それはイコール代表なんだとも思った。

 紅白戦なんて、いつも日本代表とやれてたわけで、楽しくないわけがない。本田(泰人)さんに何回も止められて、秋田(豊)さんに吹っ飛ばされてさ。なんで出れないんだって気持ちより、成長したいって充実感のほうが上回ってた。日本一の選手が集まってくるチームで、日々の練習から得られる確かなものがあった」

【PHOTO】小笠原満男の華麗なるキャリアを厳選フォトで

 少しずつ出場機会を掴み、3年目の2000年シーズンにはついにレギュラーの座を射止めた。21歳にして、Jリーグ、ナビスコカップ、天皇杯の3冠を初めて達成するチームを力強く牽引したのだ。

「まだまだ上のひとたちに引っ張ってもらってる、伸び伸びやらせてもらってる時期だったけど、最終的に3つ獲れたからね。すごい充実感と達成感があった」

 今季で在籍20年目。積み重ねたタイトルの数は16にのぼる。当然ながら、(盟友・曽ケ端準とともに)Jリーグの個人最多タイトル保持者だ。「16個? そうなの? もう何個とか数えてなかったからなぁ」と微笑を浮かべる。

 例えば、思い入れの強いタイトルなどはあるのだろうか。

「劇的だったのは、メッシーナから夏に帰ってきたシーズン(2007年)じゃないかな。もう無理だろうってところから9連勝かなんかして、最終節でレッズを逆転したという。あれはなんかこう、劇的がゆえに印象がある。本音を言えば、突っ走って勝つのが理想なんだけど、いちばん嬉しかったのはあれかな。鹿島としても久しぶりの優勝だったしね(6年ぶり)」

 では、最強チームを選ぶとすれば、いつの時代か。

「そりゃもう、チームとして強かったのは、ジュビロと二強だった頃じゃないかな。まさに俺が入ってすぐの頃の。あれが最強でしょ。めっちゃ強かったもん。まだスタンドから観ることが多かったけど、1点取られようがなにしようが、絶対に負ける気がしなかった。ジョルジーニョ、ビスマルク、マジーニョがいてさ」

 ベストゴールやベストゲームといったありきたりな質問を切り出すと、小笠原は「どれがベストとかってなかなか決めれない。そういうのじゃないけど、いまでもずっと忘れられないワンプレーっていうのはある」と、記憶の扉を開いてくれた。

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