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☆伊達鉄砲騎馬隊
皆様こんにちは

クリスペプラーが明智光秀の末裔である事が判明したみたいですね
明日その番組があるとか(^^)
  (F-04G)
2016/11/19 14:58

☆芹澤鴨◆0whPZJic.A
こんにちは(^_^)

伊達殿
えぇ……それは絶対見ないです。

来年の女城主は見ますけど。

またマニアックに行きます。

今度はピーチさんの故郷の戦国時代も絡みます。
  (501SO)
2016/11/19 15:01

☆芹澤鴨◆0whPZJic.A
伊達殿
入れ違いに(笑

そうなんですね(@_@)

あの方は外国人にしか見えないんですけど???
  (501SO)
2016/11/19 15:03

☆芹澤鴨◆0whPZJic.A
ではでは

時は1590年、豊臣秀吉の小田原征伐の時、先に話した小田氏は北条氏政につき、石田三成とマブダチだった佐竹義宣は豊臣方につきました。

あとはご存じの通り北条氏が滅亡します。

その時、佐竹義宣は石田三成の取り計らいにより秀吉に謁見と相成ります。

そして、常陸の国主にと秀吉より命を受けます。

が、常陸南部の小田氏は衰退しましたが、常陸の東部、鹿島と行方(こちらでは合わせて鹿行地域と言います)に、平家の血を引く大掾(だいじょう)氏の一門衆などが、一大勢力を展開していました。

鹿島氏、島崎氏、芹澤氏、武田氏、玉造氏など、これを南方33館主と言います。

事あるごとにいちゃもんつけてくる国主を任ぜられた佐竹氏にとって、目の上のたんこぶ的な存在でありました。

>続きますm(__)m

  (501SO)
2016/11/19 16:20

☆芹澤鴨◆0whPZJic.A
>続きm(__)m

そして、義宣はある事を思いつきます、「邪魔くさいから居なくなってもらおうかな♪」

ある日、33館主各氏に「今後の事も兼ねて、こちらで宴を開きたい。つきましては当主、嫡男も一緒に参加されたし」と書状を送ります。

これを受け取った33館主、「嫡男も一緒に?なんで?これ絶対怪しくね?」と疑念を抱きつつ国主の命令なので、各氏宴に参加を決めました…けど、芹澤氏や一部は拒否して行きませんでした。

宴に集まった33館主、「宴会に刀など武器は必要ないでしょう」と全て回収、みんな丸腰にされ宴会開始、終始和やかに進んで、飲めや歌えや、酒池肉林……イヤ、酒池肉林はなかったと思いますm(__)m

宴もたけなわ、各氏酔いがまわり初めたその時!佐竹の家臣は合図と共に全て退き、現れたのは刺客でした、応戦しようにも丸腰、しかも酒に酔っていて思うように身体も動きません。

ある者は刺され、ある者は斬られ、ある者は撃たれ、「おのれ、佐竹め!やはり謀られたか!!」和やかな宴は一瞬で阿鼻叫喚の地獄絵図に変わり果てました。

命がらがら逃げれたのも数人居たとか。

そして、ことごとく討ち果たし、間もなく鹿行(ろっこう)地域に向け義宣は軍を発します。

主を失った33館主の城はことごとく落城、敗走して来た者たちはこの宴に参加しなかった芹澤氏当主芹澤国幹の居城芹澤城に集まります。

けど、佐竹軍の勢いは凄まじく芹澤氏は城を放棄、現在の茨城県西の古河に縁戚を頼り逃亡します。

これを佐竹氏の南方33館主仕置と言います。

この逃亡した芹澤国幹さん、更に上野の那須氏を頼り、そして出羽の秋田氏を頼ります。

ここで国幹さんは死去、嫡男の通幹さんが跡を継ぎます。

>続きますm(__)m


  (501SO)
2016/11/19 17:01

☆芹澤鴨◆0whPZJic.A
>続きm(__)m

秋田氏の家臣となった通幹さん、その後この秋田氏、常陸国宍戸という所に転封が決まり息子の通幹さんの代に晴れて常陸に帰国となりました。

それからも徳川家幕臣として生きて行く事となります。

この芹澤氏、もうおわかりと思いますが、自分のハンネ芹澤鴨のご先祖様でございます。

芹澤鴨の本名、「芹澤鴨光幹」と言います。

この芹澤氏の家に、水戸藩主徳川斉昭公が立ち寄った事もあり、扇子を贈られたそうです。

水戸藩主も一目おいていたのかなぁ。

長々と失礼しましたm(__)m
  (501SO)
2016/11/19 17:16

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