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☆芹澤鴨◆0whPZJic.A
こんにちは(^_^)
西郷どんの藩主島津家の関ヶ原の戦いは壮絶でした。
島津義弘を大将とし兵力は1000、西軍に属し戦いましたが、ご存じの通り西軍は総崩れ島津軍は薩摩に撤退する為に殺到する敵陣を強行突破するしかありませんでした。
この時、撤退戦に用いられた戦法を「捨てがまり」と言います。
捨てがまりとは追ってくる敵に対し、小隊に分け敵の前に残し敵の足止めをして戦う戦法です。
勿論、足止めする小隊はほぼ討死ですが、本隊を無事撤退させる為に決死で戦いました。
この時、家老長寿院盛淳や甥の島津豊久など次々に討死、多大な被害を出しながら無事生還できたのは、80余名と言われています。
この時、徳川四天王の本多忠勝は落馬し、井伊直政は島津軍の銃撃を受け負傷、それが致命傷となり後に病死したと言われています。
(501SO)
2018/02/18 11:26
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