あああ、Mammà Mia……
何を見せられているんだ、これは。
マルディーニだぞ、バレージだぞ、スキレアだぞ、ファケッティだぞ、カンナヴァーロだぞ、ネスタだぞ、ディノ・ゾフにブッフォンだぞ。
後ろだけで博物館ができるんだ。博物館が。
中盤はどうだ。ピルロ、ガットゥーゾ、タルデッリ、リベラ、マッツォーラ、アルベルティーニ、ヴェッラッティ、マルキージオ。試合を作れる、壊せる、支配できる、時間を止められる。エスプレッソを飲むみたいに、当たり前の顔で一流を出してきた国なんだよ、イタリアは。
前線はどうだ。
バッジオ、トッティ、デル・ピエロ、パオロ・ロッシ、ヴィエリ、インザーギ、ヴィエリ、ラヴァネッリ、ゾラ、マンチーニ、カシラギにジュゼッペ・メッツア。
何なんだこの名簿は。歴史の重みがイタリア代表だろう?アズーリだろう?
ミラン、インテル、ユベントス、ローマ。ナポリ、ラツィオ、フィオレンティーナ、パルマ、サンプドリア、トリノ。欧州の夜を支配してきたシャツだぞ。
サン・シーロ、スタディオ・オリンピコ、デッレ・アルピの記憶、トリノの誇り、ナポリの熱狂。イタリアのサッカーは、ただ強いだけじゃない。
威厳がある。
伝統がある。
美学がある。
勝ち方にまで「らしさ」がある国なんだ。
なのに、なのにだ。
そんな国が、そんなレジェンドを何十人も生み、そんなクラブをいくつも抱え、そんな歴史を背負いながら、
3大会連続でワールドカップに出られないかもしれない?!
いや、信じない、信じられない、信じたくない。そんなことがあっていいのか?
ノー、ノー、ノー!!!!
これはただの敗退じゃない。ただの不振でもない。
イタリアという国のサッカー的自己イメージそのものが壊れる音なんだ。だってそうだろう?子どもが「イタリアってどんな国?」と聞いたら、昔はこう答えられたんだ。
「守備の国だ」
「戦術の国だ」
「大舞台で生きる国だ」
「苦しい試合を1-0で仕留める国だ」
「PK戦でさえ物語になる国だ」
そういう国だったんだよ。華やかさだけじゃない。泥臭さも、老獪さも、品格も、狡猾さも、全部持っていた。
それなのに今、我々は何をしている?
テレビの前で、「プレーオフは大丈夫だろう」「いや、今回は危ない」「まさか本当に……」
そうやって毎回、毎回、毎回、胃を痛めている。四度の世界王者が、ワールドカップ出場を祈る側に回っている。
こんな屈辱があるか。
バッジョが泣き、マルディーニが睨み、ブッフォンが吠え、トッティが肩をすくめ、ピルロが静かに目を閉じる。そんな光景が目に浮かぶよ。
ああ、イタリアよ。ゾフの国、ロッシの国、バレージの国、マルディーニの国、バッジオの国、デル・ピエロの国、トッティの国、ピルロの国、ブッフォンの国。
守って、耐えて、刺して、勝ってきた国。時代ごとに英雄を出し、クラブでも代表でも世界を魅了してきた国。
そんな国が、世界最大の舞台に三大会続けていないなんて、もはや神への冒涜だ。サッカーの歴史への侮辱だ。アズーリという名への悲劇だ。
マンマ・ミーア……こんなイタリア、私は認めない。