平成期に神奈川シープロジェクトにより湘南の定義は、神奈川県の市町村単位ではなく沿岸地区地方を指す名称となり、新湘南・湘東と西湘からなる。
鎌倉や江の島などは観光資源が豊富で観光集客力が高く、長く昭和期のマスコミによるイメージが残る。
遡り明治期の山と川が織りなす相模川西の景観の構想から昭和期「海」や「太陽」や「若者」などの連想になっていた。
明治期に政治結社名や合併村名に用いられた。
当時、相模川以西地域が湘南。相模川以東地域は湘東または新湘南という認識だった。
明治期の「湘南」は、山と川が織りなす景観を持つ相模川以西地域に限られていたと考えられる
明治維新により、当時西欧で流行していた海水浴保養が日本にも流入し、適した保養地として逗子や葉山、鎌倉、藤沢など相模湾沿岸が注目されて別荘地となり、湘南文化が芽生える。
1897年、赤坂から逗子に転居した徳冨蘆花が逗子の自然を國民新聞に『湘南歳余』として紹介する。
翌1898年、元日から大晦日までの日記を『湘南雑筆』として編纂して随筆集『自然と人生』(1900年)を出版する。
これを端緒に「湘南」は、当初の相模川西岸から、相模湾沿岸一帯を表すように変化する。
1887年(明治20年)7月11日 : 官設鉄道東海道線(国鉄東海道本線〈現・JR東海道本線〉の前身)の横浜駅(初代の横浜駅である現在の桜木町駅)─国府津駅間が開通し、
当地域では程ヶ谷駅(現・保土ケ谷駅)・戸塚駅・藤沢駅・平塚駅・大磯駅・国府津駅の6駅が一般駅として開業する。