>>2532043
鹿島の全身・住友金属は当時日本リーグ2部でほぼJリーグに入れないはずだった。
住友金属の人が当時の川淵チェアマンに『どうすればJリーグ入れますか?』とダメもとで質問。
川淵は諦めさせるために『サッカー専用スタジアムとか造れば検討する』と回答したはず。
そうしたら住友金属から話があった茨城県が、かなり厳しいスケジュールながらスタジアム建設することを決め、Jリーグ開幕に間に合わせる方針を決める。
それでJリーグ参入が大どんでん返しで決まる、三菱の浦和、古河の市原も鹿島同様に当落線上から決まった。
戦力面で厳しかった住友金属はジーコという目玉選手を獲得、選手でありながら実質の監督としてJリーグ開幕前にはインテル、クロアチア代表とジーコのコネクションで練習試合を行う。
あとJリーグ参入しなかった当時の日本リーグ強豪の本田技研から主力の黒崎、長谷川、本田などを獲得。
それでマリノス、ヴェルディを抑えてJリーグ初代ステージ優勝。