433602☆ああ■ 2021/03/26 00:26 (iPhone ios14.4)
だから小林祐希は結局出番はないままだったけど『関さんには感謝している』と言っている
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忘れられない“恩師”の言葉がある。出場機会に恵まれなかった小林は、13年当時の指揮官、関塚監督からこう言われた。「試合に出たかったら周囲を認めさせてみろ。認めさせたら使ってやる」。その猛ゲキで、小林のプレーは「自分が自分が」ではなく「チームのために」と変化した。
自身のプレーができない状況でも、プレスバックやカバーなど「今、自分にできること」を実行に移して仲間をサポート。関塚体制では故障もあって試合出場はならなかったが、14年から主力となり、今季は「不動のトップ下」としてチームの柱を担う。
小林 そこで結構変わった部分もある。関さんには感謝してます。今、使ってもらえているし恥ずかしいプレーはできない。それを力にして試合に臨みたい
433600☆ああ■ 2021/03/26 00:22 (iPhone ios14.4)
「俺以外のコーチングスタッフ、メディカルスタッフ、チームメート、サポーターを認めさせて、『小林祐希が必要だ』という声が上がったら、俺は使う。それまで、俺はお前を使う気はない」
ちょうどこの時期、小林はメスト・エジルのプレーを見て、パス・アンド・ゴーの動きを欠かさなくなり、味方を生かすことで自分も生きる動きのインスピレーションを得る。練習試合でゴールやアシストをして調子が良かった。チームは残留争いをしており、フレッシュな戦力を必要としていた。
関塚監督は「祐希、来週いくか。お前はすごくプレーがよくなってきている。周りもお前を認め始めている」と小林に告げた。血気盛んな21歳のMFのテンションは上がった。しかし、無情にも練習中に小林は左ハムストリングの肉離れを起こしてしまう。その日を今でも小林は「2013年10月3日」と鮮明に覚えている。