あい 2020/11/01 17:52 SO-51A No.783943 そうなんですか・・とても残念です。 日本のサッカー界に多大な貢献をされた方なので まだまだ現役でいて欲しかったのですが 本当にお疲れさまでした!
あああ 2020/11/01 17:40 ASUS_X01BDA No.783942 中村憲剛には沢山悔しい思いさせられましたが 引退って聞くと寂しくなります 阿部は中学同じなんで(阿部加入よりサポになったのが先) まだまだ一緒に戦いたいです
ああ 2020/11/01 17:22 iPhone ios14.0.1 No.783938 このままスタジアムに客がこなければ阿部の引退グッツで1億くらい稼ぐという選択肢もありだと思う。 憲剛の引退もそういう要素もあるんじゃないの?新型コロナを乗り切るための手法。ご時世ですよ。
ああ 2020/11/01 16:57 none No.783934 男性 現役時代は1994年の加入以降、2013年の引退まで浦和レッズ一筋20年。 J1で501試合、J2やカップ戦も含めれば公式戦700試合以上に出場してきた山田暢久は、 引退当時のことをそう振り返る。38歳でケガもなく、 余力も十分だっただけに最後は浦和で辞めるか、 それともほかのクラブを探すか、かなり悩んだという。 過去にJ1で500試合出場した選手の名前を見れば、あらためてその記録がいかに偉大かが分かる。 遠藤保仁(G大阪など)、楢崎正剛(元名古屋など)、中澤佑二(元横浜FMなど) 、阿部勇樹(浦和など)、曽ヶ端準(鹿島)、小笠原満男(元鹿島)、伊東輝悦(元清水など)。 並ぶのは、いずれも言わずと知れたレジェンドばかりである。 04年から08年にかけては浦和で主将を務め、 リーグ、天皇杯、ACL(AFC チャンピオンズリーグ)など数多くのタイトル獲得に貢献した。 ぶっきらぼうで面倒くさがりな性格は時にマイナスに捉えられることもあったが、派手さがなく、 目立つことを好まないキャラクターは多くのサポーターやファンから愛されてきた。 黄金期に優勝トロフィーを掲げている姿も印象深いが、山田が加入した当時の浦和は、 Jリーグ初年度を最下位で終えるなど低迷を極めていた。いつかのインタビューでは浦和入りを決めた理由について 「すぐに試合に出られそうだったから」と冗談めかしていたこともあった 何が遭ったが知らないが、もう時効だよ警察沙汰に成っていないのだから 浦和の監督に、万が一下に落ちても構わない