少し長いが岩尾の記事抜粋
2013年には湘南でその舞台に立ったものの、プロ入り後度重なる怪我に悩まされた彼は殆どその空気を味わうこともなく降格を経験した。そこからはJ2が彼の主戦場だ。翌年、昇格を勝ち取りJ1行きの切符を掴んだものの、彼は自らの選択で水戸行きを決めた。
徳島ではや5年。どんな心境の変化があったのか。それは彼のこの一言が象徴しているように思う。
俺はチーム≠追求する人間
徳島での5年間、彼にもJ1からのオファーがあったと本人が認めている。ただとりわけリカルドが徳島に来てからのこの4年間、彼はキャプテンとしてクラブの象徴であり続けた。それはもう圧倒的な存在感だったし、誰がみてもチームの屋台骨は岩尾だった。
ただその一方で、彼の仲間達はJ1へ去っていった。
そんな状況下で彼はなぜ徳島に残り続けたのだろう。なぜ一サッカー選手として上を目指さなかったのか。
この違和感と拭いきれない疑問への解釈はこうだ。
きっと彼はキャリアの何処かのタイミングで決めたのだと思う。個人≠フキャリアアップを追うのではなく、チーム≠追求することにこそ価値があると。
組織の追求とコミュニケーションの追求がしたい
元々彼の夢はプロサッカー選手になることだった。だからその夢を叶えたとき、自身に残された目標は何もないと悟った。待っていたのは度重なる怪我で、そのとき始めて日本代表になる≠サんな目標を掲げた。あくまで、個人の目標として。
しかしながら湘南から水戸を経て、辿り着いた徳島の地で、彼の価値観は大きく変わった。皮肉にも、J1からのオファーも彼を変えた大きなきっかけだった。
(J1のクラブに移籍した仮定で)自分に矢印を向けたとき、そこでキャリアを終えた後、自分に何が残っているだろうと想像したら、全く想像が出来なかった。サッカー界やヴォルティスで自分がどう歩いていくかも重要だが、どれくらい足跡を残していけるかの方がやりがいを感じた。サッカー界やヴォルティスがこんな素敵な集団なんだなと徳島県に届けるとか、サッカー界に強みをもって発信できる何かの歯車に何としてもなりたい