259115☆ぽん 2020/09/24 12:32 (Chrome)
1997年10月4日アルマトイ(カザフスタン)の夜
フランスワールドカップアジア最終予選(全8戦)、4戦目5戦目は中央アジアでカザフスタン、ウズベキスタンとの連続アウェー戦。日本代表は帰国せずに直接移動することになっていた。10月4日、アルマトイで行なわれたカザフスタン戦は、ロスタイムに同点弾を浴び、日本は勝ち点を5にしか伸ばせなかった。次のウズベキスタン戦に敗れれば、日本のW杯初出場は絶望的な状況になる。加茂代表監督が日本のサポーターにツバをかけられるという事件も勃発した。その夜サッカー協会の広報担当者から、「ホテルで記者会見をする」と連絡が入った。長沼健サッカー協会会長が、加茂監督を解任すると発し、「次の監督は岡田」と言われて、報道陣は一様にエッと驚嘆した。岡田武史コーチは監督経験がまったくなかった。
それでもなお、岡田さんは一時の暫定監督だろうと勝手に推測していた。帰国後、ジーコなど、それなりの人と折衝するのだろうと。聞かされた選手たちは、一様に「エッ」と仰け反ったそうだ。
杉山茂樹氏のsportiva記事を参考にしました。多くのライターがこの劇的な夜について書いています。同年11月16日、岡田監督はジョホールバルで初のワールドカップ出場を決めます。