463736☆ああ 2025/08/15 16:35 (iOS18.6)
吉田達磨
甲府の後、8か月のインターバルを経て、赴いた徳島でも彼の苦悩の日々は続いた。2023年の徳島はレアル・ソシエダで分析コーチを務めていたベニャート・ラバイン監督(レアル・マドリード分析担当)が就任。柿谷曜一朗、渡大生が復帰し、森海渡(千葉)、千葉寛汰(清水)らが新戦力として加わるなど、メンバー的には悪くなかった。が、序盤から結果が出ず、8月13日の栃木SC戦で引き分け、21位に沈んだタイミングで指揮官が更迭され、吉田氏がチーム再建請負人として赴くことになったのだ。
「徳島はリカさん(リカルド・ロドリゲス/現柏監督)、ダニ(ダニエル・ポヤトス/現G大阪監督)、ベニとスペイン路線で来ていて、基本的には外国人監督でやっていくという方向性でチーム強化をしていたと思います。ところが2023年はチームがうまくいかず、勝ち点も稼げない状況だった。そこで当時の岡田さん(明彦/強化本部長)が『日本人だったら達磨だよね』と推してくれたようなんです。
自分もオファーを受けた以上は何としても残留させなければいけないと覚悟を持って徳島に行き、15位でフィニッシュ。J3降格は回避することができました」と厳しかった3か月間を振り返る。
とはいえ、2024年もそのままでいいわけではない。吉田氏が柏アカデミーで指導していた時代の教え子である島川俊郎(相模原)、橋本健人(新潟)やブラウンノア賢信(岡山)といった新戦力を補強し、「チーム全体が生まれ変わらないといけない」という厳しい姿勢で始動したが、同年も開幕から3連敗と予想外の低迷を強いられた。結局、7試合を1勝1分5敗で終えたタイミングの3月31日、解任が発表され、同時に岡田強化本部長も辞任するという激震が走ったのである。
「僕の徳島での仕事は半年間で終わってしまいましたけど、呼んでいただいた岡田さんはじめ、関わっていただいた皆様には感謝しています。だからこそ徳島というクラブ・環境に入り込めたという感触を最後まで持てなかったのが悔しいですね。それは10年間監督をやってきて初めての経験でした。自分自身に対して物凄い無力感を覚えたし、2023年に苦しい残留争いを皆で乗り越えて、生まれ変わっての再スタートだと思っていたので。
サポーターからも3試合目から『辞めろ』と言われ続けたし、人格や存在までも否定されることに心が傷ついたのは確かです。あそこまでノーを突きつけられてしまうと、それを勝ちへの力に変えることは僕の力では本当に難しかった。徳島での日々は今後もずっと心の中に残し続けていきます」
近年働いた2つのクラブで天国と地獄を味わった吉田氏。「サッカーの監督は9割5分が解任されるとても厳しい仕事」と2024年途中に退任したSC相模原の戸田和幸監督も苦渋の表情を浮かべていたが、彼自身もその現実を改めて痛感させられたのではないか。
それでもプロフェッショナルの世界で生きている以上、先に進まなければいけない。新天地・韓国で新たなチャレンジに打って出て1年。吉田氏は徐々に指導者として再生されつつある。異国での経験をいつかJリーグで還元し、次こそは大きな成功を手にしてほしいものである。(第6回に続く)