浦項傘下の浦項製鉄工業高校で夢を育んだ長身FWイ・ヨンジェのサッカー人生は2007年に転機を迎えた。
大韓サッカー協会の優秀選手海外留学プログラム5期にナム・テヒ、ペク・ソンドン、キム・ウォンシク、チ・ドンウォン、ミン・サンギとともに選ばれ、イングランドのワトフォードへ発ったのだ。
そこで研修を終えてからヨーロッパ進出を探った彼は、結局2009年9月にフランス2部ナントのユニフォームを着て、不慣れな土地フランスで生活を始めた。
当初からその道は険しかった。
リュ理事は「ナントはフランスの名門で競技場や施設も良く、すぐ1部に上がると思った。クラブからも期待が大きかった」として、「だがフランスには試合で外国人選手を6人しか使えない制限があった。アフリカの選手が多いのでイ・ヨンジェのような東洋人選手には困難が多かった」と振り返った。
2010年にナント1軍でデビュー戦を行なったイ・ヨンジェは、3年間で正規リーグ39試合に終わり、それさえも交代出場が30試合に達した。
当然ゴールも少なく3ゴールに過ぎなかった。
結局彼は2013年夏にフランス3部リーグのレッドスター入団を決心した。
リュ理事は「レッドスターはパリにあり、またFIFA会長をしてワールドカップ創設を主導したジュール・リメが建てた由緒あるクラブなので、3部だが行くことになった。そこでは良かった」と伝えた。
イ・ヨンジェは1年間で25回(4ゴール)先発した。
そんなイ・ヨンジェはレッドスター入団の1年後の昨夏、日本2部リーグのV・ファーレン長崎に巣を移してアジアに来た。
なぜそうしたのだろうか。
去年9月に開催された仁川アジア大会が大きかった。
当時のアジア大会代表チームは、長身FWが24歳以上のワイルドカードのキム・シヌク以外にいないのが悩みだった。
イ・グァンジョン監督は2011年U-20ワールドカップの主戦だったイ・ヨンジェを念頭に置いていたが、彼の技量を点検するのにフランス3部はあまりにも遠かった。
リュ理事は「アジア大会が大きな理由だった」と率直に伝え、「日本は春にシーズンが始まるだろう。韓国FWがシーズン途中に1部クラブへ行くのは難しい。長崎は2部にいたが、若い面でイ・ヨンジェが先発でプレーするのに適したクラブだと思った」と付け加えた。
長崎で8試合(2ゴール)プレーして感覚を維持したイ・ヨンジェは、最終的にアジア大会代表チームの名簿に名前を上げた。彼の人生の賭けは金メダル獲得で的中した。
高校時代にサッカー奨学生としてイングランドの地を踏み、青雲のためにヨーロッパの門を叩いた。
だが軍隊という大韓民国のサッカー選手なら全員が体験する問題を解決するため、日本2部リーグに来て今でもそこでプレーしている。
イ・ヨンジェの人生航路には、単にイ・ヨンジェ個人の次元を超えた悩みと現実が隠されている。
彼は来年の末まで長崎と契約を結んでいる状態だ。
代表と兵役恩恵という二兎をすべて捉えた彼の新たな人生航路はまたどのように変わるだろうか。