123816☆Schi 2016/12/15 11:20 (Safari)
男性 57歳
CWC
皆さんも書いているようレアルとファイナルで戦うことになった鹿島を視聴しながら、磐田にも、中止になった世界クラブ選手権で、しかも現在のトヨタカップの拡大版トーナメント方式ではなく、真の実力が問われるリーグ戦方式で戦えるチャンスがかつての最強だった磐田にもあったことを寂しく思い出しています。この両チームの差はどこにあったのかといえばクラブとしての「総合力」でしょうか。鹿島はオリジナル10に入り、磐田は清水との関係で洩れ、その間に鹿島は第一期の黄金期を経て磐田との2強時代に入り、直接対決では分が悪かったとはいえ、01年にはCSで敗れたものの2位に勝ち点差21をつけての圧倒的な磐田の優位を築き、アジアチャンピオンズリーグでの戦績も磐田の方が上でした。02年の完全優勝年には鹿島にも勝てるようになったし、その時点ではことリーグ戦での雌雄をみれば五分に近かったといっていいと思います。長い時間同じメンバーで戦えた利点もありました。しかし奥の移籍、高原の移籍(これは大きかったと思います)を経て03年のマリノスとの優勝争いに敗れ長い低迷期が訪れますが、02年のオフに鹿島は磐田から大岩剛を獲得しました。あれは非常に大きかったと思う。その後も鹿島の伝統となる強力なCBの秋田が衰え、大岩が第二期黄金期の岩政が台頭するまで鹿島のCBを支えました。鈴木強化部長が秋田と会談し、泣いて馬謖を切った鹿島のマネジメントの厳しさ。あそこが磐田と鹿島の差の始まりだったと思っています。総合力といえば、サポーターの厳しさも挙げずにはいられません。さまざまな問題を起こしはするが、鹿島サポの勝利へのこだわり。勝てなくなるとスタジアムで選手に詰め寄りフロントを叱咤する。そしてあの迫力のある応援スタイル。そんな鹿島の水を呑んだ大岩はいまもコーチとして鹿島のベンチに座席を占めている。名波と大岩は清商の盟友ですが、大岩を名波の参謀として磐田のコーチに招聘して欲しいほどです。大岩からは鹿島の厳しいマネジメントやトレーニング、クラブを満たしている闘争的な空気を学べるはずです。98〜02年の磐田の黄金期は、感覚的な天才にして理論肌の名波を中心に静岡の高校サッカーが強かった時代の豊かなタレントが揃ってこそ成し遂げた、ある意味では一期一会のシャンパンサッカーだったと思う。あれを夢見てももう無理。クラブとしての総合力を上げなければ鹿島との差は拡がるばかりだと思います。本当は、名波、藤田、服部、秀人に加えて、華やかパス回しばかりが目立った磐田サッカーの中で不可欠だった隊長の泥臭さ、ガッツまでもフロントに加えてようやく鹿島の尻尾が視えるというほどの厳しい再建事業だと思います。なぜ鹿島には各ポジションに、鹿島の香りをもった選手がつねに集まるのか。磐田にはそういう香りがない。鹿島の勝負強さ以上に、それが羨ましいです。長文失礼しました。
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