136653☆Schi 2017/04/10 19:57 (iPhone ios10.2.1)
男性 58歳
チームの権化が旅に出る時
「マリノスそのもの」と呼べる選手を持てたマリノスサポーターたちは幸せだ。

私たちにも「ジュビロそのもの」と言えるあのひとがいたよ。

今にして思えば、1997から2002までの6年間の黄金期が終焉した後に、さらにあのひとが不惑の年齢に達するまで7年もジュビロに君臨し続けたことは、かつてのライバルだった鹿島アントラーズが2003年オフに鈴木部長の涙の説得で、秋田豊を「切った」ことと対照的。鹿島は伝統の堅守を支えるCBを岩政に替えることでオリヴェイラと第2期の黄金期を迎え、磐田は15年に及ぶ迷走ダッチロールに入っていった。

仙台とのJ2降格レースを経験した時も、あのひとは名波浩とともにベンチにいて松浦の残留弾を抱き合って祝福した。ジュビロでの最期の年、チームは指導者慰留をしたが現役にこだわるあのひとは札幌へ。ヤマスタ最終戦であのひとを見送った。相手はサンフレッチェで、現在レッズの柏木や槙野がおり、いずれあのひとの通算ゴールを抜くことになる佐藤寿人があのひとの前でゴールを決めた。あのひとは後半ヤマハ最期のピッチに立ち精力的にボールを追い回したが、すでに全盛期のスピードも切れも程遠く、惜しいクロスも42歳のジャンプは無情にボールに届かなかった。あのひとの惜別セレモニーでは泣きに泣いた。「ありがとう」を絶叫しすぎて声はガラガラだった。

今にして思えば、40歳を超えたチームのスーパーレジェンド、不可解な理由でオリジナル10に入れなかったチームを公言どおり1年でJ1の舞台に引き上げ、10年で3度のリーグタイトル、アジアタイトルに導いた「ジュビロそのもの」であるひとを、ギリのギリまでチームに在籍させ続けたジュビロ磐田は、間違いなく「クラブマネジメント」としてはJ1中、最も「甘い」部類に属するのだろう。しかしあの強烈な魂のひとを、衰えたという位の理由でご退出願うことなど、サポーターは考えもしなかった。

今、中村俊輔という他チームから名波の子供になったレジェンドが、そんなジュビロのチームカラーを称賛してくれることは嬉しい。自分たちの多年の忍耐が報われたような気がする。中村も前所属チームで忍耐しただろう。試合に出られないという以上のことがあったと聞く。中村は「何も言わないでマリノスを出たから今それを言ったら沈黙が無意味になってしまう」と記者に語ったようだ。その彼が活き活きと牽引するチームのユニフォームを着た彼にブーイングを浴びせたひともいれば温かい惜別の拍手を贈ったひともいた。それぞれのチームカラーがあり、正解などない。

あの強烈なひとの陰で弱い磐田を支え続けてくれた前田の凱旋時にもジュビロサポーターは特大の感謝のコールを送った。指揮官も、「長年クラブに貢献してくれた選手にあのようなリスペクトを示してくれたサポーターに感謝したい」と語ってくれた。

こういうよき慣習は磐田の伝統にしたいものだ。それもあのひととの長い付き合いがこのクラブに残したひとつの遺風であったと磐田サポーターは誇るべきだろう。

磐田の中村俊輔もきっとサックスブルーの時代のことを幸福年代として思い出してくれるだろう。そのためにも磐田はもっと特異なチームカラーを発色すべきだ。ゴール後に兄貴指揮官に抱きつきにいく自然な親密感もいいぢ、これは浩さんにお願いだが、指揮官とピッチの司令塔がフラットな関係で戦術や選手起用について忌憚なく議論できるなどということも、ぜひ磐田のチームカラーに加えて欲しい。これをできるのは名波浩しかいないだろう。
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