53149☆Aaa■ 2018/06/14 19:32 (iPad)
長野と松本の因縁の歴史@
古くは、明治の廃藩置県に始まる
当時の筑摩県(現在松本など)の合同庁舎が消失してしまう
止む無く長野に統合されるが、その後幾度となく分県運動へ
議場閉鎖、軟禁、牛歩など、荒れに荒れた県議会が続いた
・・・
1998年の長野オリンピック開催が決まり、競技施設は当然、
高速道路の延伸、長野新幹線の開通とインフラが整備される
計画は、バブル絶頂期でもあり、北に偏り過ぎた財政支出の
オリンピックに対抗して、松本市は2002年のワールドカップ
開催地として名乗りを挙げる(箱物だらけの公共事業バブル)
この時、できたのが「アルウィン」
しかし、2002年ワールドカップは日本単独開催ではなく、
日韓共同開催となり、松本市は開催地から外れてしまった。
仕方なく、パラグアイのキャンプ地としてアルウィンを提供
パラグアイ代表として来たチラベルト(GK キャプテン)が
こんなに立派なスタジアムがあるのに、なぜ?プロチームが
ないのか?という、有名な言葉を残す。
その声を発端に、北信越フットボールリーグの地元チーム
山雅サッカーチーム(現在松本山雅FC)をJリーグにする
活動が始まっていくようになった。
この年から、松本ではチラベルトカップという記念大会を
毎年ずっと開催している。