133838☆TR 2019/03/12 22:15 (iPhone ios12.1.4)
手倉森誠監督 2011.3.11を思う
あれから8年です。
あの出来事はもちろん忘れてはいないのですが、
あのとき、何を感じたのか。それを8年経った今朝、考えました。

当たり前だったことが当たり前ではなくなった日。
今、通常に生活をさせてもらっている、当たり前に暮らしている自分がいます。
振り返って思うことは「生かさせてもらっているな」ということです。
日々、感謝で生きていかないといけないということだと思います。

2011.3.11は、ベガルタ仙台のクラブハウスで、一人映像をチェックしていました。
次の日、名古屋グランパス戦でした。
すごい揺れで天井が落ちてきたのを覚えています。
電気も止まりましたから、
車のテレビで津波の映像を見たときは、本当に驚愕しました。
今後、サッカーができないと本当に思いました。
今シーズンは、Jリーグはないとも思いました。

でも、サッカー界の横のつながりを感じることができました。
他クラブが、手を差し伸べてくれました。
物資を、まずベガルタ仙台にと、届けてくれました。
他チームのファンからも、たくさんの励ましと物資が届けられました。
助けてくれた人たちのためにも、早くサッカーを、リーグをしなくてはいけないと感じました。
再開が決まってから、練習とボランティア活動、被災地訪問を実施しました。

この8年は、短くもないけど、ずいぶん経ったなという思いもあります。
被災地の中では、まだまだ手付かずのところもあります。
そこは「8年経っても」です。
ただ、震災の日から、
前に進むために物事を動かしてきた人たちにとっては、
8年間、しっかり走ってきたという思いがあります。
当時、ベガルタ仙台の監督として、
希望の光になるとエネルギーを注いだ自分としても、
8年経ったなぁという思いはあります。

でも、まだまだ足りていない。
東北人として、今は長崎の地で頑張っている。
東北を飛び出して。
「自分は、東北人の生きがいや希望になれているのか」
と今朝、日記に書きました。

先日、水戸に負けたあとに、3.11を迎えましたが、なんか悔しいです。
明るいニュースを届けられなかったのがものすごく悔しい。
本当に勝たなければいけない監督なんだと思いました。
ここを一つの区切りにしないといけない負けでした。
負けと3.11を一つに区切りにして、
V・ファーレン長崎は、
ここから土をつけない戦いをしないといけないと考えています。
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