32480☆ああ 2016/08/28 06:02 (re)
日本人はデュエルのことを「玉際の激しさ」と理解してるが、それなら始めから「玉際を激しくしろ」と指示すればいいだけだと思わない??
玉際を激しくしろと、動作に注文を付けるのではなく、ハリルはなぜ「決闘しろ」と言うのか。
それは人間だからだよ。仮に選手たちがロボットなら「玉際を激しくしろ」と命令を出すだろうね。指示通りに動いてくれたら、それでいいから。
つまり日本人は選手たちのことをロボットだと思ってることになる。何に於いても欧州サッカーを見本に、デュエルという意味を、玉際を激しくして闘ってるように見せろという指示だと解釈した。それは選手のみならず同じ日本人であるサポーターも同じ。
しかし、ハリルは選手たちを/日本人を人として尊重してる。心もあれば思考もある。文化や民族の誇り、存在そのものを尊重してるんだ。選手ひとりひとりには自由な意思があり、その生命体を命令により操作する権限は他人にはないと理解してる。
日本人が考えるように、何でも口で指示すれば言葉通りに動く忠実なロボットになれと言わんばかりに、日本の社会的風潮では当たり前の光景となっている、部下の動きの悪さを上司が揶揄するという、動作への不満を漏らした言葉ではなく、ハリルは選手自身が自らの意志により闘いの場/ピッチに立つと決意したなら、己の権限により魂を解き放てというメッセージを込めた言葉としてデュエルと表現してるんだ。

簡単に言うと、日本人はボールホルダーにぶち当たることがデュエルだと思っているが、そうではなく、ボールがどこにあろうと、敵か味方の何れが持っていようと、ボールから遠く離れていようと、ディフェンスだろうがオフェンスだろうが、そういう区切りに囚われず、ピッチの上では戦士であれということ。その魂を躍動させろという、サッカー選手としての原点に戻れという意味が込められた言葉、それがデュエル。つまり日本人はサッカーの原点に立っていないということ。
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