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580276☆ああ 2020/12/19 20:20 (iPhone ios14.2)
不安を煽ってる様に見えるんだが
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580275☆ぼっちゃ 2020/12/19 20:20 (iPhone ios14.2)
竹原社長おつかれさまでした!

おれたちも竹原さんのやってきたこと少しはわかってるから!

サガン鳥栖は永遠です!
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580274☆ああ  2020/12/19 20:20 (iPhone ios14.2)
歴史歴史、重たいわー
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580273☆ああ 2020/12/19 20:19 (iPhone ios14.3)
11月12日に古川康知事が、佐賀県出身の元映像ディレクターで人材ネットワーク会社「クリーク・アンド・リバー社」を経営する井川幸広にクラブ経営を要請し、20日には井川と古賀が県、Jリーグ関係者も同席して初めて顔を合わせ、スムーズな経営体制の移譲に向けた「第一歩」を踏み出したかと思われた。しかし、一部株主により12月5日に臨時株主総会を開き、井上ら4人を取締役に選任する議案が提案された(新組織に自らの影響力を残すため、あるいは移譲を妨害するためと見られている)。同時期、強化担当を兼ねる運営担当者を含む、広報・営業担当者など古賀に批判的な社員5人が30日付での解雇通告を受けていたことも発覚(11月30日に撤回)し前途に暗雲が漂った。しかし、これがチーム存続への最後のチャンスと見る鳥栖市は交渉が不調に終わった場合、ホームタウン返上とクラブへの支援打ち切りを表明。新取締役の選任は否決された。
結局、2005年1月に井川を中心に出資して設立された「株式会社サガンドリームス」に対し、経営権を2400万円(譲渡費用2100万円、2004年12月-2005年1月の運営費用など300万円)で譲渡することを発表した。旧法人は解散(清算)となり、ようやく経営問題は解決となる。「サガンドリームス」の社長に就任した井川は、経営譲渡にあたって「サガン鳥栖のクラブ名の継続使用」「松本の続投」の2つの条件を出したが、条件は2つとも受け入れられた。



また歴史が繰り返すのではないかと不安です
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580272☆ああ 2020/12/19 20:18 (iPhone ios14.1)
蜂男さんみたいに困難だけど鳥栖頑張れよと純粋なライバル心を持って激励してくれる他サポさんも沢山いるからな。やはり他チームはちゃんとリスペクトせんにゃいけんわ。
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580271☆ああ 2020/12/19 20:18 (iPhone ios14.2)
男性
新社長はつなぎじゃないのかな。それなりの経営のプロに引き継ぐ迄の。そうじゃなければ、経営的ブレーンがいないと厳しいのでは。
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580270☆ああ 2020/12/19 20:17 (iPhone ios14.2)
私は一切関わらないと竹原社長は言われた

やっぱり不安しかない
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580269☆ああ  2020/12/19 20:16 (iPhone ios14.2)
その歴史も大事かもしれないけど、重い。
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580268☆ああ 2020/12/19 20:15 (iPhone ios14.3)
チームはシーズン中から存続すら危ぶまれる状態にあり、2003年10月には古賀が再度辞任を表明。次期取締役選任機関として改革委員会を立ち上げ、その会長であった元佐賀大学学長の楠田久男を新社長に選任した。しかし、新組織が制作した来季の経営計画は一試合の入場者が実績の5倍近い15,000人。過大な企業協賛金も盛り込むなど見通しの甘いもので、Jリーグ諮問委員会は当然改善を求めたが、楠田ら新経営陣は「資金繰りの目処が立たない」として次期取締役への就任を撤回した。結局古賀が留任することとなったが、当時チェアマンの鈴木昌は「このままの経営が続けばJリーグからの除名や退会勧告もやむをえない」とまで述べている。このような状態のチームを引き受けようという監督をなかなか見つけられずにいたが、最終的にはJリーグからの紹介で元川崎監督の松本育夫が就任した。
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580267☆ああ 2020/12/19 20:13 (iPhone ios14.2.1)
西スポ様、いい加減にうちの記事に全く関係ないクロアチアのサポーター乱闘の写真を挟むのは辞めてください。
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580266☆ああ 2020/12/19 20:11 (iPhone ios14.3)
鳥栖F解散に対する反省から、新法人は大口のスポンサーは設けず、小口の株主を多くすることによって経営の安定化を図った。しかし、法人化初年度から赤字続きで随時小口の融資を集めて増資することで凌いだ結果、株主が多くなったことで経営の主導権争いや、会社の経営方針に対する株主や関係者からの批判が相次ぎ、狙いとは逆に経営の混乱が続いた。1998年オフにはJリーグから2年契約で斡旋されていた大口スポンサーとの契約が終了し次期運営予算が大幅に減少、主力選手を多数解雇する羽目となった。新戦力は補充したものの、入団テストの際に提示した条件は月給にしておよそ10万円で、予算不足は明らかだった。

当初から暫定的な社長就任であった中村の健康問題もあり、2001年9月には当時の監督であった高祖和弘がシーズン最終戦終了後に社長に就任する人事案を可決したが後に撤回、年が明けた2002年に半年前から取締役に就任していた建設・解体会社社長の古賀照子が社長に就任した[17]。しかし、古賀は自分の方針に反対する幹部、職員などを大量に解雇しスタッフを一新したが、大口スポンサーの撤退が相次ぎ経営は厳しくなる一方で、同年11月には早くも古賀は辞任を表明するも結局留任するなど混迷をさらに深めた。
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580265☆ああ 2020/12/19 20:10 (iPhone ios14.2)
思ってるのかな
の間違い
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580264☆ああ 2020/12/19 20:09 (iPhone ios14.2.1)
単位じゃなくて桁か。
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580263☆ああ 2020/12/19 20:09 (iPhone ios14.2)
前の25.8億がそのまま残ってると思ってるなかなか?
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580262☆ああ 2020/12/19 20:08 (iPhone ios14.3)

1991年10月、佐賀県サッカー協会が、当時静岡県リーグ1部所属のPJMフューチャーズ(当時の本拠地は静岡県浜松市)の佐賀県への誘致を決定。1994年に鳥栖市へホームタウンを移転すると共に、翌年より『鳥栖フューチャーズ』(鳥栖F)に改名することとし、Jリーグ準会員としても承認された。しかし、PJMジャパンの撤退が原因となって深刻な経営難に陥り、1997年1月にチーム運営会社の株式会社佐賀スポーツクラブが解散を決議(1998年に破産廃止)。このときに存続を求める5万人を超える署名があったことなどを受け、鳥栖Fの受け皿となるチームとして1997年2月4日に佐賀県サッカー協会会長の中村安昭を代表とする任意団体として「サガン鳥栖FC」が発足した
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