149☆sonic 2020/06/12 20:11 (MAR-LX2J)
パトリック・クライファート
生年月日:1976年7月1日
個人成績:4試合出場/2得点0アシスト
アヤックス時代の1995年にオランダ代表デビューを果たし、ミランで不振に終わった1997/98シーズン直後に初めてのワールドカップを迎えた。
しかし、1998年フランスワールドカップのグループリーグ初戦・ベルギー戦の終盤、相手DFロレンツォ・スターレンスに挑発されて肘打ちを見舞い、一発退場となってしまう。これにより3試合の出場停止処分を受け、ラウンド16まで欠場を強いられた。
それでも復帰した準々決勝のアルゼンチン代表戦でゴールを挙げ、オランダ代表のベスト4進出に貢献。準決勝のブラジル代表戦でもクライファートがゴールネットを揺らしたが、チームはPK戦の末に敗れてしまった。
2002年の日韓ワールドカップは欧州予選敗退で本大会出場を逃し、2006年のドイツワールドカップを目指していたが、クラブでパフォーマンスを落としていたこともあってEURO2004を最後にオランダ代表からは遠ざかる。
EURO2004終了後に監督に就任したファン・バステンからは無視され続け、完全に構想外となってしまったため自身2度目のワールドカップ出場はならなかった。2008年夏に現役を引退後は自身のルーツがあるキュラソー代表監督などを歴任した。現在は古巣バルセロナで育成部門のディレクターを務める。
●1998年フランスW杯準決勝・ブラジル戦の先発メンバー
▽GK
エドウィン・ファン・デル・サール
▽DF
ミカエル・レイツィハー
ヤープ・スタム
フランク・デ・ブール
フィリップ・コクー
▽MF
エドガー・ダーヴィッツ
ヴィム・ヨンク
ロナルド・デ・ブール
ボウデヴィン・ゼンデン
▽FW
デニス・ベルカンプ
パトリック・クライファート
148☆sonic 2020/06/12 19:40 (MAR-LX2J)
デニス・ベルカンプ
生年月日:1969年5月10日
個人成績(1994):5試合出場/3得点1アシスト
個人成績(1998):7試合出場/3得点3アシスト
純粋なストライカーではなくセカンドトップに近いタイプだが、1990年代のオランダ代表を語るうえでベルカンプは外せない。
アヤックスで1990/91シーズンから3年連続で得点王を獲得し、リーグ優勝やUEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)制覇も経験。1990年イタリアワールドカップ直後にオランダ代表デビューも果たしていた。
自身初のワールドカップとなった1994年アメリカ大会は、セリエAに馴染めず苦しんでいたインテルでの1年目が終わったタイミングだった。しかし、クラブでの不振が嘘のような活躍を披露し、オランダ代表のベスト8進出に貢献。個人としても3得点を挙げた。
1998年のフランスワールドカップでは、後ろからのロングボールを超人的なタッチでコントロールし、DFをかわして決めた芸術的なゴールは今でもベルカンプの代名詞的に語られる。同大会では準々決勝のアルゼンチン代表戦でのこのゴールも含めて3得点を挙げるだけでなく、3アシストも記録。オランダ代表は準決勝まで進出した。
EURO2000限りで代表からは引退し、2005/06シーズンを最後にアーセナルでスパイクを脱いだ。その後は古巣アヤックスに戻って下部組織やBチーム、トップチームでもアシスタントコーチなどを歴任した。現在はアヤックスを飛び出し、オランダ2部のアルメレ・シティのBチームでアシスタントコーチを務めている。
●1994年アメリカW杯・ブラジル戦の先発メンバー
▽GK
エド・デ・フーイ
▽DF
アーロン・ヴィンター
スタン・ファルクス
ロナルド・クーマン
ロブ・ヴィツヘ
▽MF
ヤン・ボウタース
フランク・ライカールト
ヴィム・ヨンク
▽FW
マルク・オーフェルマルス
ペーター・ファン・フォッセン
デニス・ベルカンプ
147☆sonic 2020/06/12 10:32 (MAR-LX2J)
オランダのサッカーには、4-3-3のシステムに代表されるような攻撃サッカーのDNAが受け継がれている。そして各年代に、華麗な攻撃をゴールで彩ることを宿命づけられた優秀なエースたちがいた。ワールドカップの舞台でも輝きを放ち、それぞれの時代で世界のトップクラスを走ってきたオランダ代表のエースストライカーたちの系譜を振り返る。
マルコ・ファン・バステン
生年月日:1964年10月31日
個人成績(1990):4試合出場/0得点2アシスト
1986年のメキシコ大会はプレーオフの末に本大会出場を逃し、1990年のイタリア大会で初めてワールドカップのピッチに立ったが、無得点に終わった。オランダ代表もベスト16敗退となり、これがファン・バステンにとって唯一のワールドカップ出場となってしまった。
アヤックスとミランで一時代を築き、1988年、1989年、1992年とバロンドールを3度獲得。ミラン時代にはルート・フリットやフランク・ライカールトとともに“オランダトリオ”として名を馳せ、セリエA無敗優勝や2度のUEFAチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)制覇も経験した。ただ、クラブや個人レベルで数々の栄冠を手にしてきた一方で、オランダ代表ではEURO1988優勝のみとタイトルに恵まれなかった。
1994年のアメリカワールドカップでも活躍が期待されたものの、大会1年前のチャンピオンズリーグ決勝で負った怪我が癒えず、復帰できないまま現役を引退することになる。その後は指導者としても活動し、2006年のドイツワールドカップにはオランダ代表を率いて参戦した。
●1990年イタリアW杯ラウンド16・西ドイツ戦の先発メンバー
▽GK
ハンス・ファン・ブロイケレン
▽DF
ベリー・ファン・アーレ
ロナルド・クーマン
フランク・ライカールト
ヤン・ボウタース
アドリ・ファン・ティヘレン
▽MF
アーロン・ヴィンター
ヨン・ファント・シップ
リシャルト・ヴィツヘ
ルート・フリット
▽FW
マルコ・ファン・バステン