504780☆タカヨシ 2020/12/17 18:27 (L-03K)
男性 48歳
田村が社長に就任したのは2009年、鈴木監督最後の年。
観客動員数は2007年を境に下降しておりタダ券ばらまきの新潟モデルの終焉と言われた頃。
タダ券ばらまきを見直し、有利入場者数を増やすなどの改革、また中野時代の債務の返済、人件費の増加などの改善をした。
強化部がマンネリ化監督人選などで順調とは言えない時期に売り上げを伸ばし人件費を増加させたのは功績だと思う。
スカウトが当たっていたのもあるが当時のブラジル人の豪華さを見ればわかると思う。
地方都市で難しいだろうが一時的でも浦和を越えることが出来たとすれば初期の中野社長の時代だった。
タダ券とは言え4万人入るのが当たり前の時代。
一番勢いがあった。
あとタダ券は一部で評判悪かったが駐車場収入で利益が出ていた。
年間3百万円弱で県から借りて1台千円、約3千台。
試合数を考えればわかるだろ。
あと余談だが当時の鈴木監督が一番凄いと思った外国人はエジミウソンだそう、PJ、マルシオ等色々居たがエジミウソンは別格だと。
最後に長文すみません。