649303☆ああ■ 2020/11/19 22:00 (iPhone ios14.2)
長くなっちゃうけど三笘の話題よりはいいよねw
補足
前野しかいなかったから使われてたわけではなく、山本はセレーゾ直々に連れてきた選手だったと思うんだよね
2013年に行われた「東日本大震災復興支援 2013 Jリーグスペシャルマッチ」へ出場したときに、トニーニョ・セレーゾ元監督から見初められたというのは本当ですか?
「本人から訊いたことはないですが、きっとそうだと思います。ジュビロでほとんど試合に出ていなかったですから。鹿島の強化部も僕のことはよく知らなかったと思うので」
――ベガルタ仙台と鹿島、そして東北出身の選手で構成された「Jリーグ TEAM AS ONE」の監督がトニーニョ・セレーゾ元監督でした。すごい縁ですよね。
「そうです、縁ですね。チャリティマッチというのは、だいたい45分くらいで選手が交代するじゃないですか? でも、サイドバックで出場予定だった選手が足を痛めていたんです。そこで、トニーニョから『75分くらい出場できるか?』と言われて、『もちろん大丈夫です!』って。僕にとっては、こんなに大きなチャンスはないですからね。『よっしゃ』って感じでしたね」
――アピールの場として考えていたのですか?
「そこまで意気込んでいたわけではないけれど、何が起きるかわからないぞというふうには思っていました。だからとにかく、最後まで走りきってやるんだとは思っていました」
――そして、鹿島からのオファーが届いたと。鹿島アントラーズ合流直後の緊張感はすごかったのではないでしょうか?
「もう4年も前のことですからね。でも、緊張感は覚えています。アントラーズへ来て、『ここから始まるな』と開幕したときに意気込んでいましたね」
――28歳でのプロとしての再出発ですからね。
「シーズン前のキャンプで怪我をしてしまい、復帰したのが開幕1週間前くらいだったんです。それでも開幕戦で起用してもらい、監督からの信頼も感じましたし、『やらなくちゃいけない』という気持ちでした。僕の力だけではないけれど、開幕3連勝したことで、気持ち的に乗れた手ごたえがありました」
――結果を残せたことで、新しい環境に馴染めた部分もあったのではないですか?
「そうですね。チームにうまく入っていけたな、スムーズにいったというのは感じました。自分の性格を考えると、移籍したら最初は苦労するかもと思っていたので(笑)」
――ピッチ内外で、自信を手にできた3連勝だったんですね。
「確かにそうなんですが、選手としての自信は、ひとつ勝ったからといって、すぐに身につくものではないと思います。本当に少しずつ積み重なっていくものだから。ジュビロ時代は、なかなかコンスタントに試合に出られなくて、チャンスをもらってもそれを活かせなかった。それは自信なくプレーしていたからなんだなと、今は思っています。アントラーズへ来て、試合に出て、勝つことによって、いろんな自信が身についてきたんだと実感できるんです」
――自分を信じる力ということですね。
「試合に出たい、そのための準備を日々行っています。以前はそこでチャンスが来て、試合に出ても、自分の力を出しきれていないなという感じでした。自分のプレーに納得が出来ず、しかもチームとしても負けてしまう。やられたのは自分のところから……ということもありました。自信がないからミスをすると下を向いてしまい、またミスをする。ジュビロ時代はそういう選手だったから、監督から信頼も得られず、試合に出られなかったんです」