857975☆ああ 2021/11/17 19:51 (KYF37)
柴崎はターニングポイントがいくつかあった
ひとつ目はJヤングプレイヤーを獲得した時期。後に所属したヘタフェの当時SDだったプラネスが「自分がプレミア2部のクラブでSDしていた時にも柴崎にオファーを出した。その時は鹿島側が柴崎は手離せないと拒否されたので断念」
二つ目はテネリフェからヘタフェに移籍する時。この時にリーガ数クラブ、ブンデス1部、ポルトガル1部からもオファーがあり獲得競争になっていたと上記のプラネスが柴崎獲得後に回顧している
三つ目はヘタフェからデポルティボへの移籍をする時。この時もリーガ2部の数クラブやポルトガル1部のクラブと獲得競争があったとデポルのTDが語ってる。「柴崎には魅力的なオファーがいくつもあったがおそらく条件の一番良くないわがクラブを選んでくれた。金銭面で魅力的なオファーが他にいくつもあったのにわがクラブを選んでくれた選手は今まで誰もいなかった」
まあデポルも今のレガネスも柴崎がやりたいボランチで起用してくれるクラブだから選んだと本人は言ってたが、スペインに拘らずブンデスやポルトガルを選んでたらまた違ってたかもね
ヘタフェにいた時はリーガで1年目は22試合、2年目は6試合しか出場出来なかったがそれでもバルサ戦やレアル戦などハイレベルな試合に出場しその経験がロシアW杯やコパアメリカで活きた
スペインに拘りすぎて2部でのプレーが柴崎を曇らせたんじゃないかな