No.42173
男性 続き
このマンションには、ニュージーランドとか南アフリカとかオーストラリアとか、世界のいろんなところから来たラグビー選手も住んでいるんだけど、彼らの一人であるオーストラリア人とその奥さんのフランス人、それに僕と僕の妻で話をしていた時のことだ。一緒に集まって晩ごはんを食べたんだけど、その時こんな話をしてくれた。ある日本人のフィジカルトレーナーがいた。彼は、オーストラリア人選手と南アフリカ人選手の二人をそれぞれ一年間担当していた。トレーニングはそれぞれ一時間ずつくらいかけて別々にやっていたんだけど、ある時二人を一緒にトレーニングしたことがあったんだ。すると彼はこう言ったそうだ。「これで俺は二人分以上働いたな」。彼らが時にどういう考え方をするか、わかるかい?彼らは考え方が固すぎるんだ(※1)。これは理解しがたいよ。サッカーでも同じだ。(※1)このエピソードは正直あまりピンとこない。
別の話をすると、チームでバーベキューをした時のことだ。これは前の監督が、チームの結束を強めるために音頭を取ってやったことで、こういうのは南米でもよくやる僕らには馴染みのあるやり方だよね。でもその時は8月で、ウルグアイで言う1月みたいな、耐えられないくらい蒸し暑い真昼間だった。それで僕らがバーベキューをしていると、ユースの選手たちがみんな出てきて練習し始めたんだ。昼の1時にだよ?それで通訳を呼んで、ベテランのチームメートを捕まえて、「イバ(注:新井場選手のこと)、彼らは何やってるんだ?」って聞いたんだ。そしたら、「いやいや、練習だよ。日本では、あえて夏の暑い中で練習して我慢を身に付けるんだ」(※2)と。でもそれはおかしいだろ?グラウンドで死んじゃうよ。でも、そういうメンタリティなんだ。わかる?
(※2)ここで彼は、「para que sientan el sacrificio」、直訳すれば、「自己犠牲を感じるために」暑い中練習をする、という表現をしている。この後に出てくる「犠牲を払わなければいけない」という話と通底している。