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ただ、神戸と契約延長とはならなかった。前述の通り、シーズン終盤には数字を残したものの、「大人の事情があるじゃないですか」と本人も苦笑する。せっかくフィットしつつあったチームを出ていくのは本当に辛いこと。それでもサッカー選手である以上、次なる環境を見出し、そこで結果を残さなければならない。小林は割り切るしかなかった。
「そのタイミングで僕を呼んでくれたのが、ミシャ(ミハイロ・ペトロヴィッチ=現名古屋監督)でした。ミシャが率いていた札幌へ行くことになり、僕としても新たなチャレンジに燃えていました」
3年前に思いを馳せる小林。ところが、希望は瞬く間に打ち砕かれてしまう。小林はチェ・ヨンス監督に直々に呼ばれながら使われなくなった江原FCと同じような道を辿ることになったのだ。
「2023年1月頭に札幌に合流して、沖縄キャンプから始まったんですけど、ミシャ監督は自分が認めている選手以外のよさをあまり見ようとしないように僕には感じられました。『あれがダメ』『これがダメ』と言われ、『自分がいる意味があるのかな』と疑問が湧き上がってきて、メチャクチャ高かったモチベーションが徐々に下がってしまったのが正直なところです。監督と強化部の意思で僕を取ってくれたはずなのに、なんでそんな扱いを受けるのか、ホントに謎でしかなかった。途方に暮れる日々でした」
包み隠すことなく事実を打ち明けた小林。仮に意思疎通のズレがあったとしても、強化担当やコーチングスタッフが立ち合って、しっかりとお互いの理解を深める努力をすれば、大きな溝にならずに済むケースも多い。けれども、このときの札幌はそういったサポートが足りなかった。
「それからは自分のプレーに対して『違う』と言われることが多くなった。僕もムリに合わせようとすればするほど、自分のプレーができなくなっていった。『俺じゃなくなったら意味ないよな』というジレンマに陥っていきました。そういう考え方になるのは、5歳のときから同じ。30歳を過ぎても変わらないんです」
結果として札幌では2年過ごすことになり、チーム状態次第でチャンスが回ってくることもあったが、いいプレーをしても外されることが多かった。「その理由が分からず、本当に戸惑いました」と小林は困惑の表情を浮かべる。
「自分をスタメン起用としていた週の練習で、僕のポジションがコーンで四角に囲われていたことがあったんです。『祐希はここから出るな』と言われましたね(苦笑)。僕もプロサッカー選手なんで、そういうポジションのベースは分かりますし、守備組織を崩してでも逆サイドに行ったりするつもりはなかった。それでもそんな扱いを受けてしまうと、自分らしさはなくなってしまいますよね。あの2年間はプレーがかなり縮こまったし、ダイナミックさも失われた。本当に『真面目にサッカー辞めよう』と思ったくらいでした」
まさに困惑の日々を強いられた小林。札幌という土地やチームメイト、サポーターは愛してやまないものがあったが、監督との食い違いの着地点は最後まで見出せなかった。小林にとって4つ目のJクラブでの日々は、不完全燃焼のまま幕を閉じたのである。