410918☆ああ 2021/12/21 17:37 (iPhone ios15.2)
戦後の浦和は、サッカー強豪校がひしめく全国有数のサッカーの街になりました。その先駆けとなったのが「埼玉県立浦和高等学校」です。1949(昭和24)年には国民体育大会を制覇、1951(昭和26)年でも連覇するとともに、1952(昭和27)年には全国高等学校サッカー選手権大会で優勝、その後、1954(昭和29)年、1955(昭和30)年と連続して優勝を果たしています。
「埼玉県立浦和高等学校」のよきライバルとして切磋琢磨していたのが「埼玉県立浦和西高等学校」でした。「埼玉県立浦和西高等学校」も、1957(昭和32)年に悲願の全国高等学校サッカー選手権大会優勝を実現しています。
その後、浦和のサッカー界に台頭してきたのは「浦和市立高等学校(現・さいたま市立浦和中学校・高等学校)」でした。「浦和市立高等学校」は1959(昭和34)年には国民体育大会で優勝、全国高等学校サッカー選手権大会でも優勝し、翌1960(昭和35)年には全国高等学校サッカー選手権大会連覇を達成しています。
かつての「埼玉県立浦和高等学校」に対する「埼玉県立浦和西高等学校」のように、「浦和市立高等学校」のライバルとして成長したのが「浦和市立南高等学校(現・さいたま市立浦和南高等学校)」です。「浦和市立南高等学校」は、マンガ「赤き血のイレブン」のモデルとなったことでも知られ、全国高等学校サッカー選手権大会や全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会(インターハイ)などでの全国制覇は6回を誇ります。これらの学校は浦和4校と呼ばれ、卒業生は日本のサッカー界の発展に多大な貢献を果たしました。