525891☆ああ 2022/08/27 15:59 (iOS15.5)
男性
>>525890
広島はほとんど主力は流出しませんでしたが。
〉J2を共に戦ったことで縮まったサポーターとの距離
(前回の続きより・・)仙台でJ1に復帰できなかった2004年に、自分の思いだけでなく、チームが戦力を落とさないことの重要性を痛感しています。なので正式に広島残留を決めた上で、チームメートにも呼びかけました。
カズ(森崎和幸)も、(森崎)浩司も残ると言ってくれましたが、コマ(駒野)にはすぐに呼びかけることができませんでした。日本代表で主力でしたからね。少し遅れて話をしたのですが、結果的に磐田へ移籍することになりました。しばらく経ってからコマに「あのとき、なぜすぐに声を掛けてくれなかったの?」と言われました。「もちろん残ってほしかったけど、言えないよ」と答えた僕の気持ちをコマも理解してくれました。
J2降格となりましたが、ミシャへの信頼が揺らぐことはありませんでした。ただ、2007年は結果が出なくても先発メンバーが変わらず、健全な競争がなかったと感じていて、それはミシャにとっても反省材料だったと思います。J1復帰に向けて、僕たちも、ミシャも変わらなければいけませんでした。
2008年は初めてキャプテンを務め、全員が同じ方向を向いて戦うことを意識しました。J2への不安はさほどなかったのですが、自分たちが緩めるとJ2のサッカーに染まってしまうのではないかという危機感は常に持っていました。
常に考えていたのは、1年でのJ1復帰は最低限の目標であり、復帰後にJ1で勝負できるようになることが大切だということです。
ともにJ2を戦ったことで、サポーターのみなさんとの距離も縮まりました。スタンドに『共闘』という横断幕が出るようになったのは、この年だと思います。降格時は、もう広島の人たちが応援してくれなくなるのではないかという不安がありましたが、苦しい時期に手を差し伸べて一緒に戦ってくれたことが本当にうれしかったです。
J2優勝・J1復帰を決めて、僕自身も28得点でJ2得点王になりました。多くの試合に勝ち、サポーターのみなさんと喜びを分かち合えた。前の年は悲しみや怒りもあったスタンドが笑顔に溢れていて、これがスタジアムのあるべき姿だと感じていました。J1復帰を果たし、2009年からはタイトルへの挑戦が始まります。(続く)