135366☆経過観察 2020/01/30 12:43 (SHV35)
男性
興国高校サッカー部
興国・内野監督「僕らはJ2狙い」
全国高校選手権に初出場した興国高校(大阪)は、J2クラブを進路に推奨している。内野智章監督は、J1クラブに強く望まれたり、本人が希望したりする場合はJ1も当然候補になると断った上で「僕らは、J2狙いなんですよ、プロって。選手の将来を考えて試合に出ることを優先したら、J1よりJ2の方が良い。そこまで突き抜けて上手くなくても、強みになる特長があれば、J2クラブは、魅力を感じてくれます。だから、最初からJ2クラブ向けに発信している部分もあります」と話した。
興国高校は、毎年のようにJリーガーを輩出しており、育成力に定評がある。現在の3年生も右DF高安孝幸と主将のMF田路耀介が2020年シーズンから金沢に加入する。内野監督がJ2を推奨するようになった背景には、19年に日本代表に初選出されたOB、古橋亨梧(興国高→中央大→岐阜→神戸)の成長過程がある。
考え直すきっかけになった、古橋亨梧の活躍
興国からは、古橋と同期で2人、1学年下からも2人が高卒でプロ入りを果たした。当時の期待値は、4人とも古橋を上回るものだったという。しかし、いきなりブレイクする高卒Jリーガーは、少ない。
「今では、2学年で5番目くらいの選手だった古橋が一番成功しています。ほかの選手は、なかなか出場機会を得られずに苦しみました。スーパーだと思っていた選手が3年程度でプロ生活を辞めてしまうような事例が出てきて、おかしいなと思ったのが、最初のきっかけです。その後、古橋が岐阜(J2)でブレイクしたときに『高卒プロはダメ』なのではなく、21歳くらいまでは、公式戦をプレーする経験がすごく大事なのだろうと感じました。また、古橋が神戸(J1)でも活躍したので、確信に変わりました。結局、試合に出ることが大事。何人もの選手をプロに送り込んで分かったことです」(内野監督)
移籍活発化以前、J2のスカウトは嘆いていた
内野監督が考え方を改めるのと同時に、時代背景も変わってきた。古い話になるが、Jリーグは、契約満了後にも移籍金が発生する国内独自のルールを2009年まで採用していたため、国内の移籍が少なく、高卒選手は契約条件や活動環境に直結するクラブの規模を優先した。あるJ2クラブのスカウト担当者(当時)は、熱心に口説いていた選手を、たった1日だけ見に来たJ1クラブに持って行かれ「興味を持ってもらっても『でもJ2ですよね』と言われてしまうんだよ」と嘆いていた。「J1と競争になったら勝てない」というスカウトの話は、ほかでもよく聞いた。
しかし、海外へ移籍する選手の事例が増えるにつれて、Jリーグの契約形態も見直され、移籍は活性化。13年には、「育成型期限付き移籍」(所属チームより下位のリーグへ移籍する場合に限り、18〜23歳の選手は登録期間外でも移籍が可能になる)が導入されるなど、若い選手はより移籍が容易になっている。これにより、高卒で選ぶチームは、終着点ではなく出発点になりつつある。今では、J1のビッグクラブからオファーが来ても、より早く実戦を経験することを目指してJ2クラブと契約する選手も、珍しくない。