93836☆ああ 2018/08/24 17:05 (Chrome)
男性
松永時代の記憶
なめたけさんの文見て、自分の不確かな記憶で書かしてもらいます
とにかく必死な印象しかない
勝っても勝ってもチームが消滅するかもしれない恐怖が常に有った
新聞やTVに岐阜が存続の危機とニュースが流れ、消えてしまう前に見に行くかと友人と長良川に行ったのが自分の岐阜サポとしてのスタート
戦術より体力で走り勝つイメージだったけど、新人ばかりの当時の選手の顔ぶれなら仕方なかったかもしれない
ひたむきなサッカーは見ごたえ有った、後半に強いから逆転勝ちなど劇的展開が多いのが長良川劇場と言われてた
ホームに強い印象の良さか真っ白状態なユニフォームにも山中製菓さんはじめ徐々にスポンサーが付いて
2009年最終戦でシーシーアイさんが胸に付きユニフォームほぼ埋まり誇らしかった事
そして徳島に勝った時の物凄い盛り上がりが忘れられない
ただコアサポとの関係が今一なのか絶好調時でもこの掲示板で監督の個人攻撃が結構有ったのも思い出す
倉田さんは戦術重視と言われガラリとサッカーが変わった
素人の自分には前年に比べると見ててもどかしかった、実際に前年より順位も下げた
それでも戦術が浸透していけばと期待していたし
退任する時はもう1年続けて欲しかったと言われる監督だった
あと今も岐阜がJリーグクラブでいられるのは、当時GMと社長だった今西和男さんの功績があったことも強調したいです
日本サッカー史に残るような方でチーム存続のため私財も出されたと聞く功労者が、半ば追い出されることになった無念と悔しさは忘れられないです
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