No.16541
城福さんの時は、中盤に下りてきてチャンスメイクにも絡めと言われてたけど、そもそもその頃からパス回しが目的になりつつあった中で、その目的だけに埋没されたら、赤嶺も持ち味が出せなかったでしょう。
やはりカウンターになった時の前線での中継点の役割やターゲットとしての味方の活かし方が赤嶺のポストワークの持ち味だから、当時の城福さんのスタイルにはちょっと眼鏡に適わなかったと思う。

それに当時はボールキープできた平山を重用し、タメを作って、周りの動き出しが求められていたから、プレーエリアが狭いと見られた赤嶺は、そのスタイルだと合わないと判断されたのでしょう。
結局城福さんの3年目で、完全に出番を失って、仙台に移籍したわけだけど、あの時も1年目にやったように、リアクションで結果にこだわったサッカーをやっていたら、赤嶺にもチャンスはあっただろうけど、あの時は城福さんもフロントも、視野が狭くなっていたのもあったと思う。
最後は城福さんもチームを離れることになったし、あの時はやはり不幸な時だったと思う。

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