No.525523
男性 21歳
ゴール裏における“応援の本質”はそれは「跳ぶこと」そのものじゃなくて、
“自分の声やエネルギーでチームを後押しすること”。
だからたとえ跳べなくても、
声を出して歌う
手拍子をする
タオマフを回す
拍手で仲間を鼓舞する
そういうアクションがあれば、それは立派な応援だし、ゴール裏の一員だと。
ゴール裏は「同じ方向を向いてるか」が大事
例えばある人が、声は出せないけどずっと手拍子をしてる
跳べないけど、座ったまま一生懸命に腕を動かしてる
それって、飛んで歌ってる僕からしたら充分くらい、めちゃくちゃ心強い存在だと思ってます
でも逆に、
飛ばない、歌わない、手も叩かない
それでいて文句やヤジだけは飛ばす
って人がいたら、それは“身体的な事情”じゃなくて“意識の問題”なんだと思います。
応援の多様性と一体感の両立
たとえ応援の「スタイル」は違っても、
「チームを後押ししたい」という気持ちが同じなら、仲間として迎え入れられる空気があると理想的。
逆に、熱心な人が「跳ばない=ダメ」と一括りにしてしまうと、本当に頑張ってる“飛べない仲間”まで傷ついてしまうことがあると思ってます。それは良くない
隣の人が飛べなくても、一緒に歌ってる姿を見たら笑顔でうなずいてあげる「無理せず、でもできる範囲で一緒に応援しよう」って空気を出す。
ゴール裏の仲間にそういう多様性の大切さを共有していく
結論は
飛べなくても、心が前に出てれば“戦力”。
飛べても、チームを貶すだけなら“ノイズ”。
めちゃんこパッションな結果ですが、、、
若造の個人的な意見でした。