サッカーにおける守破離
守破離(しゅはり)は、日本での茶道、武道、芸術等における師弟関係のあり方の一つ。日本において左記の文化が発展、進化してきた創造的な過程のベースとなっている思想でもある。
まずは師匠に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まる。その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身と技についてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。
…とウィキペディアからの抜粋です。マリタさんがいいことを仰るなあと思っていたので。(^^;;
ちょうど中町が復帰したころだけど、「選手で話し合いをやった」というコメントがあって、その頃から勝ち始めたら「監督は何もやっていない。選手が監督無視してやり始めたから勝ち始めた。だから監督ヤメろ!」みたいな意見があったけれど、
これこそ、まさに守・破・離の過程なんですよね。
ずっと前にジーコが代表監督時代に「自由ばかりで戦術ない」言われて批判されていたけれど、ジーコのいう自由なサッカーとはたぶんこの「離」の状態のサッカー。「離」の状態にもレベル、強弱ああるからセレソンがやるのと日本代表がやるのは違うだろうけど。
オシムさんが言っていた「考える」とは、守→離に移行しなさいっていうことだったと思います。
日本人がいう「いい監督」って、なんとなく「守」の部分をみっちりやってくれるイメージがあります。でも本当はそこで終わったら強くなれないんだよね。σ^_^;