>>1061729
旗手怜央は大学時代FWとして活躍している。
でもプロの世界に入り同期の三笘より先にデビューしFWでプレーしたものの全く通用せず。結果が出ないとネガティブになる性格からパフォーマンス落ち始めたのを何とか救おうと鬼木監督が試行錯誤しながら彼の最適解を探してくれた。そして旗手もプロとして生き残るために必死に様々なポジションにトライした。そして辿り着いた左SB。左SBができなければ彼が東京五輪代表に選ばれることもなかったし、その後のA代表や海外移籍もあり得なかった。(そもそも森保監督は旗手を左SBで使うことを嫌っておりMF起用に固執して旗手起用に消極的だったが、登録人数少ない五輪において彼のポリバレントさは保険になると踏んで選出。川崎での実績が無ければ絶対に左SBでの起用はしていなかった)
普通の監督に指導されていたら今頃J2J3だった可能性もある。FWとして勝負させ、競争に負けてカテゴリーを落としてプレーするもFWとして花開かず、結果ポジションを変えて何とかプロで生き残っているという感じのキャリア。彼の自分を責め過ぎるメンタルを考えるとその悪循環に陥っていても不思議ではなかった。鬼木監督が彼にプロで通用する自信を与えたのは大きい。