No.37381
製鐵関連追記
八幡製鐵サッカー部について言うと、選手の多くは広島出身だったようです。ご存知のサンフレッチェ広島の前身、これまたJSLの強豪だった東洋実業などあり、広島もまたサッカーどころ(第一にカープが来るのはともかくとして)ですが、広島高等師範学校(今で言う教育大)出身の寺西忠成氏が八幡製鐵所のサッカー部を創設、自身の出身地広島の高校生をスカウトし、中には日本代表になった宮本輝紀、渡辺正のような選手もおり、先述の通り天皇杯で優勝、JSL初代8クラブのメンバーにも入りながら、リーグ戦では優勝は果たせず、その後製鉄業界の大合併で新日鐵八幡サッカー部となるも80年代以降は低迷して2部に落ち(ちなみに入れ替わりで1部に昇格したのが今の横浜Fマリノスの前身、日産自動車)、その後は2部でも低迷、さらに91年、東海大五が初の国立の舞台を踏んだその年のリーグ戦で、九州リーグに降格。
その後、寺西忠成氏は、東福岡高校のサッカー部を指導、今の同校隆盛の基礎を築きました。
一方、九州リーグに降格した新日鐵サッカー部、製鉄不況と重なったこともあり、立ち上げ時に西日本にガンバ大阪とサンフレッチェ広島の2クラブしかないというアンバランスから、新日鐵も参入を促されたものの、Jリーグ立ち上げの際には「今後10年は赤字覚悟」という条件がつけられていたこともあり、それは無理と辞退した、と。
JSL時代から続いていた組織やノウハウが細々であれ維持できていれば、現状は全く違ったものになっていたであろうことは間違いありませんが、「死んだ子の歳を数える」真似をしても始まりません。
今のギラヴァンツの母体は三菱化成(今年からは三菱ケミカルですか)のサッカー部とされています。
新日鐵の影響も皆無とは言えないでしょうが、継承されたものはごくごく限られているのではないかと。
したがって、歴史あるクラブの真似事をしても同じようにうまく行くはずはない。
でも新規でも成功しているクラブがある。
工業都市でかつ市内の地域同士の連携が希薄という点で、川崎などは都市としても似たような特徴かあるのですが、富士通サッカー部が母体とはいえJリーグ参入はまだ20年未満(1999年J2立ち上げ時の初期メンバー)の川崎フロンターレが、98年にはアビスパにJ1昇格を阻まれ、2000年には一度J1昇格してもすぐ降格と、アビスパ以下の立場だったのに、今やACLに出てリーグ戦では優勝争いまでしている、こういう成功例とそのノウハウを学ぶべきだと思います。
誰か川崎から招聘出来んものかなと。