80374☆QPR 2016/04/07 16:42 (none)
小倉戦記8章:山崎川御前試合
関東の地に新たな活路をもとめて遠征した名古屋軍であったが、湘南の地侍や江戸のゴロツキ達による激しい抵抗に合い遠征は大失敗に終わってしまう。
這う這うの体で尾張の地に帰り着いた小倉将軍であったが、休養もそこそこに起死回生の為の軍再編と強化に着手する。
「我が軍には、武器商人オーマン殿によってもたらされた南蛮渡来の最新兵器の数々が有るが、戦の趨勢を決するのは装備・兵器の良し悪しではなく、個人の武勇や兵器の巧みな運用、そしてなにより戦略と戦術である」と述べた小倉将軍は続けて「川崎との戦では、敵方の剣豪中村に散々苦しめられ、江戸では森重とかいうゴロツキによって我が近習が蹴散らされてしまった。戦略や戦術は直ちに一から練り直して行くつもりだが、個人の武勇・力量の方は見極め試す機会を早急に設けねばなるまい。よって山崎川のほとりで武芸試合を催すこととする」と宣言するのであった。
こうして、催される事になった「山崎川御前試合」であったのだが、音に聞こえた鹿島神道流の武芸者達を招いての試合で有ったために、名古屋軍の武者達の水準の低さを露呈する結果となってしまう、、、
4番試合の初戦こそ「野田流」の使い手野田隆之介の我流剣術によって勝利するものの、二番手である若武者大武は鹿島神道流の巧みな足運びに全くついて行けず、三番手の傾奇者川又は洗練された剣術の前にギラギラした猪突猛進が全く通用せず、4番手の家老小川の老獪な剣技は猛々しい剛剣の前に歯が立たなかった。
野田が使える事が収穫と言えるものの、全体的には名古屋の武者達の不甲斐なさばかりが目立つ結果となり、名古屋軍の未来に暗雲が漂って勝ち点0( i _ i )