926449☆ああ 2024/01/12 19:31 (iOS17.2.1)
佐々木トニーさん
日本人の両親の元にブラジルのサンパウロで生まれ、9歳から群馬県で育った。2011年に仙台で通訳を始め、17年夏にグランパスへ。半年後の18年には、佐々木さんの地元サンパウロにあるコリンチャンスから元ブラジル代表FWジョーが加入した。「さすがだな」。いきなりの大物獲得に感心した。
ジョーとの思い出で印象的だったのは18年8月5日のG大阪戦。後半34分に2点目を決めたジョーは、ベンチに寄り、佐々木さんの耳元で「ハットトリックするよ」と言った。
試合は、残り10分あまり。ジョーが自らに気合を入れているのだと思った。「よし、行ってこい」と送り出すと、5分後に宣言通りの3点目。3―2で勝利した試合後、ジョーは笑いかけた。「言っただろ?」。鋭敏な感覚は、通訳歴も長い佐々木さんをして「すげえな」と言わしめた。夏のオフには、沖縄旅行にも同行。家庭人としての顔も見た。
最も長く佐々木さんとグランパスで戦ったのが、19年に大宮から加入したマテウス。「彼は人に相談するし、それを聞いて実際にやる」。ピッチの外に出ても、話す時間はとりわけ長かった。日本国籍取得の意思も確認し、手続きについても話し合っていた。
その矢先の23年夏、サウジアラビア移籍が決定。寂しい気持ち、そして挑戦を応援する気持ちとともに「日本代表でやれるポテンシャルは全然あると思っていた」と、日本国籍取得前の海外挑戦を残念がった。
「みんな人としては最高だった」というブラジル人選手たちの中でも、22年にプレーしたレオシルバは特に個性的だったという。「うれしい時はもちろん、つらい時もいつも笑顔。何があっても元気よく、楽しくやることがすごい」。体に負荷がかかる練習の時も率先して声をかけ、自分が実践する。大ベテランのすごみを肌で感じた。
昨夏、マテウスとレオナルドが移籍。佐々木さんの中に、英語も学んで通訳としてのキャリアを飛躍させたい思いが生まれた。「グランパスで過ごした日々は本当に最高だった。勉強させてもらいました」
感謝とともに、選手同様に成長の階段を上る。