531236☆ああ 2019/09/19 14:59 (SO-05K)
学生は栄冠を手にすべく必死に努力をしつつも、頭のどこかにその勝利をも凌駕(りょうが)する何かを求めている。それは苦しいトレーニングを乗り越えた達成感であったり、その過程で培った友情だったり、一つのことに全身全霊を込める高揚感かもしれない。いずれにせよ必ずしも結果に固執するわけではない。もしかしたら卑劣な勝利よりは、心から納得し自分を奮い立たせてくれる負けの方をむしろ心の奥底では欲している。
学生スポーツは負けることにこそ意味があると思う。もっと言えば負けるために闘っているのかもしれない。たとえ勝ち残ったとしても選手としてその栄誉に浴する者はさらに限られるからだ。学生には、単純な勝敗より、社会という次のステージでやり抜く力を追求すること――それこそが大学スポーツに対し社会が求めているものではないだろうか。
監督たち指導者が学生を育てるということは、何も競技力のみを評価するのではなく、学生の人間性も含め総合的に考慮すべきだろう。私の周囲にも学生スポーツというステージでは輝けなくても、社会の次のステージで立派に事を成してきた人物が多数存在する。広く社会で活躍する人材の育成こそが教育の使命であると考えれば、戦績とは別のところに意義を見いだすことができるはずだ。
努力を重ねた上で繰り返す成功と失敗、とりわけ健全な負けは、長い目でみると甘美な勝利の数倍の意味を持っている。
プロと学生は違う。
これで理解出来なきゃ貴方の頭が堅いだけ。