658120☆ああ 2020/04/09 21:42 (iPhone ios13.4.1)
サッカーの話題出します。
浦和レッズがペトロヴィッチ監督から掘監督に交代した。優勝を狙いながら中位に低迷、失点が多いことからも仕方がないことだった。
ブラックバーンが悲願のプレミアリーグ初優勝を遂げた94/95シーズンを振り返る
ペトロヴィッチ監督の攻撃的なスタイルやサッカーの哲学はすばらしく、クラブもこのサッカーで勝ちたいという意思を鮮明に出していた。だが、昨季いいところまで行ったという現状に満足しているところがあったのかもしれない。補強も軸になる選手はほとんど取らず、カネがからない選手の取り方。クラブとしては収支を安定させていたが、本当にタイトルを狙うならビッグネームを取って刺激を与えることも必要だった。ペトロヴィッチ監督のサッカーでチャンピオンになりたいという考えが強かったのだろうが、バックアップ体制としては議論が分かれるところだ。
ただ、サポーターが望んでいたのは「チャンピオン」という称号で、物足りなさを感じていたことはまちがいなかった。魅力的なサッカーなら観客もスタジアムに足を運んでくれるが、今季は埼玉スタジアムの観客動員も苦戦しているという。
ペトロヴィッチ監督が就任したのは、2012年でぎりぎり残留した翌年、とはいえ他クラブとは目指しているものが違ったはずだ。今季まだACLもルヴァン杯もタイトルの可能性を残している中でこの決断はたいへんだったと思う。
7月5日の川崎フロンターレ戦で試合後、サポーターに選手が乗ったバスが止められ、ペトロヴィッチ監督がバスを降りて詰め寄一部のサポーターに「(次戦の)新潟戦で勝ち、(12日の天皇杯、J2熊本戦)連勝できなければ、私が最初にここから出て行く」と言ってしまったのはよくなかった。
監督が交代した8月4日の埼玉ダービーでは大宮と2−2で引き分けた。守備のミスが目立ち、監督が交代した効果は出なかった。原点に返って、本気で取り組み、結果を出して行くしかない。他クラブとは背負っている十字架の重さが違うということだ。