842418☆ああ 2021/02/16 21:50 (Safari)
男性 69歳歳
人数が与える人に対する影響とその必然性
今回のことに限らず人数が多いと難しいことが多い。一部の過激な人が生まれるのは世の中の常であるし仕方ない。分かりやすく説明するために、限らず例えばブンデスリーガのバイエルンでもホェフェンハイムの出資者の人に対して侮辱するようなバナーを出しており、またリヴァプールにおいても様々な衝突による死傷者が発生する事件が起きている。これら2チームに限らす人数が多いチームはその人の多さがゆえに発生する可能性が上がるのに加えて注目度が高いためメディアの餌食になりやすい。以上により国内でもトップクラスのサポータの量と強さをもつ浦和レッズでは問題が発生しやすい土壌にある。それは前述通りサポータの質や地域の持つ特性とは無関係であり人間の常である。まだ理解しくいもののために、さらに理解しやすいもの且つ非常な具体的な例として、いじめを挙げる。まず、いじめについて定義する。ここでは2013年に成立施行されたいじめ防止対策推進法により文部科学省が定義した、児童等に対して当該児童等が在籍する学校に在籍している等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的または物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む)で当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じるものというものを採用する。この定義よりいじめの発生する環境を考えると、主に傍観、同調、自己防衛、娯楽の4種に分けることができる。一つ一つ分析していく。まず傍観、辞書的な意味はその場でながめること、当事者ではないという態度、立場で見ること。とある。場や立場という言葉から集団における個人として定義されているのがわかる。次に同調、他にあるものに調子を合わせること、他と同じ意見立場をとること。とある。これも傍観に加え積極的に関わろうという意思を感じ、これは個人における集団への振る舞いとして定義されている。次に自己防衛、これは言葉そのまま自分の身は自分で守る。である。前述2個に比べて集団が認知されていないように見えるが、自分を守るすなわち他者からの攻撃を防ぐということであり、これも個人間及び個人集団間における振る舞いである。最後に娯楽であるが、人の心を解放して楽しみ慰めるものとある。これは一見、社会や世の中における規律や法律、マナーにより個人を束縛し集団と振る舞うことを強制するために起こるように感じるが、動物としての人間そのもの、この場合ヒトとしての言動を行うことにより楽しみ慰めるものと考えられるので、集団としては定義されず個人のみで定義される。以上のように、この4種を見ると娯楽以外は全て集団という外的要因が関係していることがわかる。従って、いじめが発生発展していく主な原因は集団という人が関わるということである。よって、さらに分かりやすい例としていじめを挙げたが、人数によって発生する難しさと人の心に与える影響と、その必然性について理解して頂けたか、理解して頂けたのならば長い文章を書いた甲斐があり幸いである。以上、長い文章を読んでくださりありがとう。