選手の有用性について
選手の有用性はすべて実証されるものであり、その点において実証することのできない形而上学は無意味であるとされていた。しかしそもそも実証というものは、その実証のためのメタレベルにおける「実証」を必要とする。そのようにして繰り返すことにより、その有用性は永遠に実証されないという、無限後退に陥ってしまう。
そこで提案されてのが「反証」だ。選手の有用性は経験的に「確証(実証)」はされるものでなく、常に批判に開かれており真理らしさの厳しいテストにさらされ、その結果「反証」されなかったものを、験証されたものとして、われわれは暫定的に「受け入れる」、あるいはその受け入れを決意するだけなのである。
ただし選手の有用性について、「確証」されることがないということが、直ちに「真理は存在しない」となるわけではない。真理があることは認めつつも監督はそれを得ることは決してできず、ただそれを求めてを続けるほかにない。
故に監督いうものは真理の追求者であるが、真理の所有者ではないのではないかと私は思う。