547829☆ああ 2024/08/13 16:18 (Chrome)
戦後79年の令和6年夏、元零戦搭乗員の最年少は昭和3年10月生まれの95歳(生存)
大原は1945年2月16日早朝、敵艦上機、館山を空襲中、との報を受け、紫電に乗って出撃している。
この日横空戦闘機隊は、零戦、紫電、紫電改、雷電等10数機をもって邀撃した。
「私は単機で離陸したが、横須賀沖でF4Uコルセア、TBFアベンジャー編隊を発見、そのまま突っ込んでアベンジャーを1機、江ノ島の近くに撃墜した。
葉山上空で、戸口勇三郎飛曹長機ほか1機が、低空でF4Uコルセアに追われているのを発見。
F4Uと対戦するのはラバウル(パプアニューギニア)以来だったから、『この野郎、久しぶりだな、』と。
それで戸口機を追尾していた1機を撃墜した。F4Uはスピードは速いがダッシュが遅く比較的捕捉しやすく、
苦手意識はなかった。
「激戦を生き抜かれた理由をどのようにお考えですか。運がよかったんでしょうか」と訊いてみた。
大原は少し考えて、「いや、運だけじゃないね」と言い、自分の右腕を左腕でポン、ポンと叩いてニヤリとした。「ここ(腕)だよ」というのである。
戦闘機乗りはロマンがあるな。ジェフも夢を見せてくれ。