1261804☆せい。 2025/04/26 12:30 (iOS18.3.2)
0〜1の発想への寛容性
ジュビロは0〜1の発想と準備しなければならないフェーズに差し掛かっていると思って見ることが必要だと思う
慣例的、データ的、確立的なものでしか認定されない、しない風潮が強いジュビロ界隈…
一昨年の町田なんかはまさに、0〜1への独創的なサッカーで圧倒的な結果を残し、そのままJ1でも居場所を作り、否定する意見も今シーズンではほぼ見当たらなくなった
新しいものや形に対して寛容性を持つことも、一つの強化なのかもしれない
単なる真似事を表現するのに必死になっているのでは、結果的に二番煎じで強くはならないのかもしれない…
結局、形よりも結果になってしまうが…
変に慣例的なものやスタイルに安心感を求めるよりも、新しいものや不安定な若い力に託すことを寛容する形もある程度の期間は必要だと思う
こういう想いを抱きつつ何年経過しただろう…
経過と寛容、結果を求めるには結果が先か?寛容が先か?
町田、京都
やはり独創的なスタイルは無くてはならないのかもしれない
たとえ不恰好でも良いと思う、まずは"コレ"というスタイルの構築、朧げながらも表現できるものが必要
そういう意味では、今のジュビロは的が外れていると常々思う…