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明治大学卒業間近の1999年2月、川崎フロンターレが募集していたアルバイトに応募する[2]。応募者は井川ひとりだけであった[2]。翌年にはフロンターレの社員となる[2]。
2002年、ワールドカップ日韓大会では日本代表チーム、ドイツ代表チームのチームエスコートを担当し、その後神奈川県で開催されるクラブワールドカップではチームダイレクターを担当[3]。
2017年に営業部長に就任、その後プロモーション部も兼任[4][5]。営業部長は2021年まで務めた[2]。
2021年7月東京オリンピック2020に従事し、有明アーバンスポーツパークでメディア副責任者を務めていた際、責任者のアンドレアス・ウェルツが職務中に一時心肺停止したが、チームメンバーと共にAEDで処置を施し無事一命を取り留めた。その後メディア責任者として会場を取り仕切った。