600713☆(ФωФ)ゞ 2019/08/24 12:02 (706SH)
応援すること、鼓舞する、批判する、ストレスの捌け口等、其々違う心根が有るのかもしれないので一概に肯定も否定も出来ないと思うので、個人的にはという考え。
応援することは何処でも出来る、しかし人間と人間の繋がり、縁が根底にあり、それを育み、その繋がりが又人と人を塊にして強く成長する事を望む場合、其々の歩幅が違えばムカデ競争みたいにずっこけたりもするが、求める完成形が運命共同体のようなものであれば其れは我慢しなければならないのでは、というか、通り道としてその道を通るしかないのでは、という思考があります(あります)ディレイ
是正のために切る、斬る、突き放す、成る程それも成長を促すには一つの手段と思います、が、求める完成形の形が、とても孤独なもののような気がするのです。
一人で立ち上がれというもの、決して手を貸さず、見守るということでしょうが、それは一人の人間に対するものなのでは??
自分が親や他人の立場で考えると、それが正解とも考えられます。
(自分がいて、彼がいる、みたいな図式)
でも、自分がガッツリ関わるなら、大きな概念としてのレッズの一部であると自覚があり、それが誇りであるなら、それもプライドオブ浦和の一つの形とも思え、それならば、応援は己のため、落とすお金も己のため、己の心の平穏や充実のため、それならば、無駄なことではないと思うのです。
現地に行くこと、選手に頑張れーって聞こえる位置で汗をかいてべそをかくことは、何もおかしいことではないと思います。
俺は仕事で水曜しか動けませんが、行けるときは埼スタはいきたいです。
俺にとっての、成績の悪いときでも応援をしたいという気持ちは、このように言語化できます。
落としたお金をうまく使えないのはフロントの罪、それは悪いことと思いますが、我々がお金を落とすことは罪ではないと思います。
自分がお客様、他人様という概念であれば、ストライキのような手法もありと思いますが、俺がレッズだ(俺がガンダムだ的な)という気持ちがあるなら、こんなときこそナニクソ!!で一緒に悔しがって、自分の事のように悩んで、勝ったときは知らない人とハイタッチ!なんて素敵と思います。
そんな気持ちで、自分は応援をしています。
頑張る!