メロン
No.593178
決して負けたくて負けたのではない。自分達の不甲斐無さを痛いほど感じている、気持ちの整理がつかない状況の中でサポーターの近くまで挨拶に来る勇気には、言葉ではいい表せない凄いものがあると痛感します。
何故、サンガを愛するサポーターなら、選手たちの気持ちを汲むことはもちろん、選手が奮い立つような言葉掛けができないのか。
私達サポーター自身の成長なくして、選手と共に歩む軌跡を描くことはできないと思います。京都サンガと共にあれ。

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💬 返信コメント:1件

ああ
No.593186
>>593178

ほんまにそうですよね。
一番悔しい思いをしてるのって、選手やスタッフですからね。
毎日そのたった90分の試合に向けて、あーだこーだ考えて練習して。でもそれは相手も同じで。それをぶつけ合った上で、どちらかが勝って負けては当たり前にあることで。別に負けて良いとか言うつもりは無いですけど、少なくとも今ここで誰が一番悔しい思いをしてるのかって考えたら、それが言って良い言葉かダメな言葉かじゃなくて、そもそも蔑むような思いは出てこないんですよね。
サポーターは、そういう選手たちを応援するしかできない存在。文句言って、暴言吐いて、それで次勝つならそうします。
文句言われて、暴言吐かれて、京大や東大に合格するなら、そうされてください。
文句言われて、暴言吐かれて、営業の成績上がるならそうされてください。
そんなわけないんですよね。
全ての人が幸せになれるテーマパークじゃないんです。嬉しいも悔しいも両方が同じ場所でどちらかに生まれる場所なので、漏れなく幸福感が得られることしか望まないのなら、そういう場所が他にはあるし、そっちに時間やお金を費やす方が賢いと思います。
自分はその嬉しさも悔しさも含めて応援だけしに行ってるし、それしかできないし、でもそれはその試合のスーパープレーにも1点にもならない無力なものだと思ってます。「応援が力になった」はクラブ側だけが思ってくれていれば、それだけでいいです。


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