195281☆ああ 2018/07/31 10:32 (Nexus)
国中人、郡内を語る
オレを含めて国中の住人は郡内のことを知らなさ過ぎる。
そもそも奈良時代の律令体制下では甲斐国自体「東海道」に属していたわけで、駿河から富士山裾野の東西を経由して甲斐国に入るのがメインルートだった。
かつてはまさに、物流や人や文化の玄関口だったわけだ。
今の国中のアイデンティティーが確立されたのは江戸期に甲州街道が整備され首都と直結されてからのこと。
その甲州街道が大月あたりで分岐することで、郡内と国中の分断化、二極化、競合関係が進んだ。
言ってみれば郡内は東海道の裏街道でもあり、大月で甲州街道に合流して江戸にも繋がる、そういう地域なのよ。
歴史的にも地理的にも経済圏的にも、国中とコラボする必然性が薄い。
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