210517☆ああ 2018/12/15 10:15 (iPhone ios11.4.1)
地歴好きの視点から
歴史的には郡内地方は富士山を北に迂回する東海道の裏街道に当たり、律令制下で甲斐国を東海道に位置付けていたことからも、富士山の東西の裾野を通るルートは甲斐国の表玄関だった。
地政学的にも、中世までは物流や安全保障面で、甲斐国にとって非常に重要な地域だったことは間違いない。
そこから御坂路(甲斐路)や若彦路で御坂山系を超えて国中に入れば、信濃国の東山道へのアクセスが可能になるという要衝でもあった。
甲州街道が整備された江戸期以降、国中と郡内の関係は大きく変わってしまったが、それも高々ここ400年程度の話。
その前の歴史の方がはるかに長いことを思い出そうではないか。