295755☆ああ 2020/11/10 09:24 (iPhone ios14.0.1)
平地が少なく農耕に適さない甲斐では、小規模領主たちが排他的に対立しやすかった。
信虎から信玄の時代にかけて統一を果たし、信濃や駿河への侵攻で求心力を高めたが、その武田は滅亡。
徳川、北条、上杉による侵攻を経て、江戸期に入ると甲州街道の整備によって、他国からの流入が飛躍的に増加。
元々排他的になりやすい風土を刺激したところはあるだろう。
洗練度はケタ違いだが、京の都で培われた「いけず文化」に似たところは確かにある。
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