357249☆ああ 2021/11/15 09:40 (iPhone ios15.0.2)
武田の信濃侵攻の遺恨についての投稿がありますが、多くの方が本質を見落としていると感じます。
まず資源に乏しい内陸国の甲斐が、東海道や東山道を経由する物流が生命線だった、という経済安全保障面の観点をベースに持つべきです。
東海道に関しては、駿河は今川義元が、相模は北条氏康がそれぞれ安定的に掌握していたため、甲斐武田は同盟の道を選択しました。
一方、東山道に属する信濃は守護大名の小笠原長時が安定的に支配しているとはいえない状態で、信虎期前の甲斐のように中小豪族の内紛が絶えず、政情が不安定でした。
そこで真田氏などの手引きもあって、諏訪を皮切りに、東信、伊那と東山道の出入り口に重点を置いて直接支配に乗り出します。
桶狭間で今川義元が討たれて、後継者の今川氏真がやや頼りなかったことから駿河に侵攻したのもこれとほぼ同様です。
乱世の中で結果として支配領域が拡大したため、武田の領土的野心のようなものに焦点が当たりやすいのですが、内陸国ならではの経済安全保障の観点から地政学的に必然性があった、というのが実際でしょう。
信玄生誕500年の今、正しい郷土史観を持つように心掛けたいものです。