184452☆ほぼ長崎人 2020/08/09 21:35 (arrowsM05)
75年目に思うこと
やっと仕事終わったー
サッカーとは関係ないが、平和を発信するチームのサポーターとして、また、今日が長崎原爆の日ということで、少し長めだけど許してもらいたい。
私事で大変申し訳ないが、長崎出身のカミさんと出会うまでは、あまり訪れたことのない長崎には何の縁もゆかりもないと思って生きてきた。
原爆の被害にあった人たちは何てかわいそうなんだろう、と同情しつつも他人事だった。
しかし長崎に住み始めてから「被爆二世」という言葉を聞き、原爆は自分にも無関係ではないと意識するようになった。
当時16歳だった大分県出身の父が原爆投下直後、配属先の大村航空隊から救護活動のため長崎入りしたという話は聞いたことがあった。あまりの被害の大きさに無力だったとも聞いた。
そのころ父には特攻隊の出撃命令が出ていたが、出撃直前に終戦となった。
彼は被爆者の認定を受けないまま、まだ若い頃に癌で亡くなったが、原爆との因果関係はわからない。
息子である私は正式な被爆二世でもないし、幼少時より虚弱体質であることも特に関係ないとは思いつつ、私の中にもあの8月9日の長崎との意外なつながりを発見し、それまでの「自分は所詮よそ者」という劣等感が少し和らいだ。
ついでに言うと母は小学3年生の時、北九州八幡の空襲で家を焼き出され目の前に落ちてくる焼夷弾の雨の中を逃げ、その後遠く離れた田舎の親戚に育てられた。
父も母も戦争によって、きょうだいも亡くし人生を大きく変えられてしまったが、私の両親はまだいいほうで、比べものにならないほど悲惨な経験をした大勢の人々の声が、消え去ってしまうことは、あってはならない。
あまり関係のない前置きが長くなってしまったが、長崎から平和を発信するときに大切だと思うのは、ただ言葉だけで「平和」を唱えるのではなく「核兵器の犠牲は長崎が最後でなくてはならない」という強い信念を伴わなければ意味がない、と思うのである。